ベトナム在住日本人なら知らない人はいないのでは。ベトナムのニュースを日本語で配信しつづけるニュースサイト「ベトジョー」の編集長、伊藤淳一さんにお話を伺いました。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2013/11/26
ベトナム在住日本人なら知らない人はいないのでは。ベトナムのニュースを日本語で配信しつづけるニュースサイト「ベトジョー」の編集長、伊藤淳一さんにお話を伺いました。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2013/11/26
ニュースっていいですよね!
ニュースの語源は「新しい」を意味するnewから派生した言葉と見せかけて、実際は東西南北で起きた出来事を集めるという意味から「North」「East」「West」「South」をつなげたものだそうです嘘です。
新しいの複数形で合っています、よく出来た話ですよね。
さて、べとまるでは毎週木曜日に、とあるニュースサイトとのコラボ記事をアップしています。
名前はベトジョー、ベトナムのニュースを日本語で翻訳&配信するニュースサイトです。
こ のベトジョーは前身サイトから数えると2002年から運営されており、ベトナムや企業の海外進出に注目が集まるずっと前からベトナムの現地情報を発信して おります。今回、その編集長でありベトジョーを運営する会社・VERACの代表である伊藤さんにお話を伺いました。ベトジョーの生い立ちとDNAがよく分 かるインタビュー内容となっております。それではご覧ください。
***
ネルソン「よろしくお願いします」
伊藤さん「よろしくお願いします」
ベトナムとの出会い
ネルソン「まず、伊藤さんはいつ頃にベトナムへ来られたんですか?」
伊藤さん「98年の4月ですね。大学を卒業して、10日後にはもうベトナムにいました。」
ネルソン「随分と昔ですね!」
伊藤さん「そうですね、もう16年目なので、振り返ってみれば長くなりました。」
ネルソン「最初はどういうきっかけで来られたんですか?」
伊藤さん「日本語を外国人に教える講師です、大学も日本語学科だったんですよ。」
ネルソン「外国人に日本語を教えたいと?」
伊藤さん「いや…昔からずっと家を出たかったんですね、その結果として海外へ出ました。」
ネルソン「家?日本じゃなくて家??」
伊藤さん「実家は愛知の田舎にあって、私はその長男だったんです。古い家で、親からいつも『お前は長男だから…(家を継ぐんだぞ)』と何百回も言われ続けて、祖父母ですら『長男だから』という理由で、当たり前のように弟と妹がいる前でお小遣いを僕にだけ多く渡すんですよ。そうした環境が昔からずっと嫌で、中学校の頃から家を出ることばかり考えていました。」
ネルソン「海外まで出る必要はあったんですか?笑」
伊藤さん「日本国内だとすぐに呼び戻されるという思いがあったんですよね笑、なのでいつか海外に出てやろうと思っていました。それが無意識にあったからなのか、高校の頃からずっと『移民』について独学で調べていました。」
ネルソン「移民?」
伊藤さん「はい。日系移民とか、華僑とか。自分の国を飛び出した人々の背景や、生まれた国のアイデンティティを海外でどの程度保っているのかなどが知りたかったんです。そんな時に、本屋で『日本語教師』という職業があることを知って、これだ!と思いましたね。日本語教師なら基本的には海外に出ないと仕事が無い訳ですから。」
ネルソン「言ってみれば、日本語教師は理由づくりだったんですね。」
伊藤さん「そうなんです、『日本語教師なんだから海外に行かなきゃダメでしょ?』と親を説得しました。」
ネルソン「なるほど笑。しかし、何故そこでベトナムだったんですか?」
伊藤さん「大学の卒業生の方が日本語教師をやっていてその引き継ぎという名目で行くことになり、それがたまたまベトナムだったんです。本当は、移民に興味があったので南米に行きたかったんですけど、その前任者の方がそのあと南米に行っちゃいましたね。」
ネルソン「伊藤さんの夢をその人が引き継いじゃったということですか笑」
伊藤さん「結果的にはそうです笑」
ネルソン「でも、まさか、ご両親は16年間も続くとは思わないですよね。」
伊藤さん「最初は安心させるために1,2年で戻るからとか言いましたからね、なので今でも騙されたと思っていると思いますよ。言わないですけど、家を継いでほしいとは思っているでしょうね。」
1年半の日本語教師時代、アルバイト、飲食店を経て二年間の無職・ベトナム語修行・出稼ぎ時代へ。
ネルソン「日本語教師はいつ頃まで続けられたんですか?」
伊藤さん「1年半でした。」
ネルソン「思ったより短いですね!」
伊藤さん「正直、日本語学科と日本語教師は、『とにかく海外に出る』という目的を達成するための手段という不純な動機でしたから。」
ネルソン「その日本語教師では、どういった働き方をされていたんですか。」
伊藤さん「当時は3校の日本語学校をはしごしていました。授業後の休み時間に1区から10区まで汗だくになりながら自転車を飛ばして何とか次の授業に間に合わせていましたね。でも、来て初めてもらった給料を盗まれてしまって、バイトを探す羽目になったんです。」
ネルソン「え、うわー。」
伊藤さん「仕事に出ている間に部屋にあったスーツケースをこじ開けられて盗られました。大体犯人の検討も付いていたんですけど。」
ネルソン「それからバイトを…あれ、当時のホーチミンって日本人はどれだけいたんですか。」
伊藤さん「正確な人数は分からないですけど…1,000人くらいでしょうか。来て1ヶ月目でお金を盗られて翌月の生活費がなくなったので、知り合いの方に頼んでお土産屋で働かせてもらいました。その後たまたまお店にいらっしゃったお客様から、当時は『市内でも一番美味しい』と評判の中華料理店で後任マネージャーを探しているという話を聞き、早速話を聞きに行き、そこで働くことにしました。」
ネルソン「中華料理店のマネージャーて!急展開過ぎませんか!笑」
伊藤さん「いや、一応、飲食店のバイトは過去に二つほど経験していたんですよ。マネージャーなので作りはしないですけど。」
ネルソン「あ、そうなんですね…。」
伊藤さん「でも、中秋の季節が来て、その店で作った月餅を売らないといけないことになって。」
ネルソン「えっ、月餅(ベトナムで中秋節に贈る習慣のあるお菓子)?」
伊 藤さん「はい。日本人なんだから日系の会社に営業して売れと。人に会うことが最も苦手な自分が営業か…と思いながら1年目はとりあえずやってみてたのです が、2年目も同じことをするのかと思ったら憂鬱になり、2年目の季節前にオーナーに『営業はちょっと・・・』と伝えたらアッサリと「あっそう、では今月末で」ということでお役御免となりました。」
ネルソン「それからは?」
伊藤さん「無職&ベトナム語修行、出稼ぎ期間です。」
ネルソン「おぉ。」
伊 藤さん「日本に帰るという選択肢はまずなく、その時はまだベトナムで生活していくんだなという漠然とした気持ちでしたが、ベトナムで生きている未来の自分 がもう見えているような気もしたのでベトナム語は勉強しないと、と。あと、私は本を読むことが好きだったんですが、ベトナムで日本の本はなかなか手に入ら ないし、あったとしても高い。そこで思ったんです、このさき『貧乏暇あり』だったとしても、ベトナム語を勉強すれば現地の書店にある無数の本や街角にある 数々の新聞・雑誌を読めるのでまず読み物には困らない(暇しない)じゃないか!そう思って、本格的にベトナム語の勉強を始めました。」
ネルソン「また理由が面白いですねー笑、独学ですか?」
伊 藤さん「いや、流石に3年ベトナムにいて会話はどうにかなっていたので、人文社会科学大学へ文字や文法などの基礎を習いに通いました。学校へ行って初めて 音と文字が繋がりました。それから半年間勉強して、そもそも無職でお金も無かったのと、あとは自分で勉強出来るんじゃないかと思ってそこで辞めました。」
ネルソン「どのような勉強を?」
伊藤さん「ベトナム現地の新聞を買って、ノートの見開きの左右それぞれにベトナム語と日本語を書くんです。それでかなり語彙が増えました。」
ネルソン「そのベトナム語の能力を使って、再び働くという選択肢は無かったんですか?」
伊 藤さん「当時は、ベトナム語が出来ても仕事が増える訳じゃなかったんです。それに、今でこそ色々な企業が進出していますが当時はその数も少なく、現地採用 者がいない訳じゃなかったけど、駐在員の方からはかなり辛辣な扱いをされていましたからね。実際、まだまだその頃は、ジプシーみたいな人や何をしているの かよく分からない人達も多かったですし、しょうがなかったのかもしれませんが。」
しかしそれでもお金は減っていく…日本への出稼ぎと、ベトジョーの前身サイトの誕生。
ネルソン「それでもお金は無くなっていく訳ですよね?」
伊藤さん「はい。これはまずいぞと、日本へ出稼ぎするという決断をしました。」
ネルソン「完全に外国人就労者じゃないですか!…どんな内容を?」
伊藤さん「派遣の仕事なんですが、土木工事の図面をデータ化するという。半年行ってベトナムに戻ったら、翌年に同じ仕事がありやらないかという話が来たので、都合半年を二回行きました。」
ネルソン「今の伊藤さんからじゃ想像つかないなぁ。」
伊藤さん「その出稼ぎを始める前に、それまでノートにつけてきた新聞の和訳を、備忘録代わりになるのと、もしかして誰かが見てくれて役に立つかもしれないという淡い期待から『さるさる日記』(1999年から2011年まで運営されていたWeb日記サービス)で『ベト君ナム君の一口ベトナムニュース』という、ベトジョーの前身に当たるWeb日記をはじめました。」
ネルソン「おぉ!遂に!」
伊藤さん「日本での仕事は残業が続いて日を跨ぐことも多かったんですが、どれだけ疲れていても毎日Web日記の更新は欠かしませんでした。反応は少ないながらも確かにあったし、これを続けることによって何かになるかもしれないと信じて続けていました。というより、その時の自分の財産は、わずかなお金と、このWeb日記しかなかったんですよね。」
ネルソン「シンパシーを感じざるを得ないっす。」
伊藤さん「それで、いつまでもベトナム語の勉強としてのWeb日記ではなく、ここで生きていくために収入を得られるようにせねばと思い、2003年に『ベトナム情報市場』と名前を変えてサイト化させました。そんな私を見て、声をかけてくれた人がいたんです。今の会社のグループオーナーなんですが、呼ばれて行ってみると、『ベトジョーを買いたい』という話がありました。」
ネルソン「売ったんですか?」
伊藤さん「いや、断りました笑」
ネルソン「笑」
伊藤さん「実はその頃、ベトナムに来た当初から付き合っていた今の妻と結婚したばかりで、結婚資金は喉から手が出るほど欲しかったんですけど、『ベトナム情報市場』は自分の財産だと思っていましたし、どうしても売ることは出来ないと。自分がこれしかないと思い続けてきたものに対して『お金を出す』と言ってくれる人がいたことには、とても驚きましたが、でも売ってしまったら、私には何もなくなってしまい、ただの雇われ人になる。そういうのは逆に不安だからやめようと、思いました。」
ネルソン「それから再び、一人で運営を?」
伊藤さん「いや、オーナーからは「売らないならそれはそれでいいけど、うちには来てよ」と言ってもらい、入社することになり、自分のサイトであるベトジョーを持ち込んで更新を続けながら、並行して、ベトジョーで培った情報収集活動を活かして『ベトナム株情報』、『ベトナム経済金融情報』、企業信用調査などに事業を拡げていきました。」
ネルソン「『ベトジョー』という名前は一体何処から来たんですか?」
伊藤さん「『ベトナム情報市場』の頃から略称でそう呼ばれていたんです。」
ネルソン「なるほど笑」
まだまだ続くので、前後編に分けます。