「Bat Quai城」の姿は地図でしか残っていないのですが、あまりに巨大なんですよね、ホーチミンの1区がスッポリ入るくらい。ひとつの建造物というよりは城壁だったのでしょうが、それでもロマンが掻き立てられます。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2013/11/23
「Bat Quai城」の姿は地図でしか残っていないのですが、あまりに巨大なんですよね、ホーチミンの1区がスッポリ入るくらい。ひとつの建造物というよりは城壁だったのでしょうが、それでもロマンが掻き立てられます。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2013/11/23
陰陽っていいですよね!
陰陽といえばこの世は陰と陽で構成されていることを表す太極図が有名ですが、あのマークを国旗に使用している国は世界で5カ国あるそうです嘘です。
実際は、韓国とモンゴルの2カ国のみです。
以前、あまりに可愛いらしいサイゴンの古地図を取り上げたことがありました。
記事内でも言及している通り、これはもともとSaigoneerという英語圏の方向けのサイゴン(ホーチミン市)紹介サイトで取り上げられたものだったのですが、再び同じサイトから面白そうな地図ネタが上がってきたので、これまた独自の分析を付けて紹介しようと思います。
Fun with Old Saigon Maps (1790) | Saigoneer
前回の地図は1954年以前でしたが、今回は1790年。150年以上も時を遡ります。
それがこちら。
年季の入った良い感じの古地図です。フランス語が随所に見られる辺り、フランス人が作成したものだと思われます。
ここで注目したい点は、右上にSAIGONとの表記があるところ。
しかし、リンク先の記事内では、この街はGia Địnhであると書かれてあります。
実は、SAIGONはフランス人によって正式に街名として認定された名前なのです。
ただ、フランス人による統治が始まる前から存在していた名前ではあるらしくその諸説は色々あるそう。
さて、それでは地理について注目してみましょう。
まず、この地図は北が右方向になっているので、現代の地図に合わせるべく面舵マイナス45度!
これで在住者の方には見慣れている地図に近付いたと思います。
しかし、まだまだ、更に現代の地図を半透明で被せます。
223年の時を越えてサイゴンの地図が合わさりました。これでいくらか分かりやすくなりましたね(ちょっと見辛いですけど)。
それでは前回同様に、今との違いを見ていきましょう。
まず何より目立つものがこの要塞です。
これはフランス人によって設計された城で、調べたところBát quái城と呼ばれていたそうです。
なお、この『Bát quái』、ベトナム語で『陰陽』を表すとのこと。
陰陽道の発祥には古代中国の周に起源があるので、この時代に色濃く残っていた中華文化を感じさせます。
また、見たところ、この城の周囲には土が盛られているように見えます。
この南東の城壁に位置する辺り、実は今でも少し緩やかな坂道になっているんですよね。
これはもしかしたら当時の盛土の名残なのかもしれません。
地表の建物はともあれ、何百年経っても地形はなかなか変わらないものです。
左の運河が今のNguyễn Huệ通り、右の運河がNgô Văn Nămでしょうか(確証はなし)。
また、城の周囲の市街地の、更に周囲にはこれまた城壁が築かれています。
東と南には幅広の川が流れているので位置的には納得ですが、攻めてくる外敵がいたのかな。
Bát quái城と同時期に築かれたものなのか気になるところです。
西には既にプランテーションもあったようです。
フランスがベトナムを保護国化した年が第一次フエ条約が締結された1887年ですが、その100年近く前からプランテーション事業という形でフランスがベトナムの産業に関わっていたということが分かります。
さて、実は、もう一枚画像があります。
Bát quái城の内部配置を示すものです。
赤線が1790年頃のBát quái城、黒線で描かれているものが…フランス語表記という点、今のTôn Đức ThắngとĐinh Tiên Hoàngが分断されている点を見るに以前紹介した地図と同じ時代(1954年以前)なのでしょう。
そこで改めて、このBát quái城は非常に大きいものであると気付かされます。
北西がNguyễn Đình Chiểu、南東がLê Thánh Tôn、南北が統一会堂前のNam Kỳ Khởi Nghĩa、北東がTôn Đức ThắngとĐinh Tiên Hoàng。この4つの通りに囲まれているエリアで す。在住者の方は、この広さがよく実感出来ると思います。一辺およそ1km、面積はもちろん1平方km、これは東京ドームだと21個分以上に当たるようで す。ただ、ひとかたまりの城という訳ではなく、城壁内部に建物が並んであるところを見ると、城壁はあくまで城壁のみだったのだろうと思われます。なお、南 東から北西に突き抜けている通りがHai Bà Trưng、北東から南西に突き抜けている通りがLê Duẩnということになります。
しかし、残念ながら、このBát quái城は建設された1790年から69年後に取り壊されてしまいます。今回はその経緯までは追いませんでしたが、今のホーチミン市にはかつてこのような、言わば『幻の城』が存在していたんですね。
Hai Bà TrưngとLê Duẩnの交差点がBát quái城のほぼ中心に当たります。
今では何の名残も確認出来ませんが、その場で思いを馳せるというのもまたロマンがあるでしょう。
ま、馳せ過ぎても、車に轢かれちゃいますけど。ご協力いただいたろうちょん氏 、有難うございました!