奄美群島の、沖永良部島(おきのえらぶじま)。この人口1万2千人ほどの島に、100人近くの外国人実習生が働いています。そのほとんどがベトナム人。そんな彼らと、雇用する農家の方々と、島の関係者によって開かれたテト(春節)を祝う交流会におじゃましました。最終的にダンスクラブ化…!?
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2020/02/02
奄美群島の、沖永良部島(おきのえらぶじま)。この人口1万2千人ほどの島に、100人近くの外国人実習生が働いています。そのほとんどがベトナム人。そんな彼らと、雇用する農家の方々と、島の関係者によって開かれたテト(春節)を祝う交流会におじゃましました。最終的にダンスクラブ化…!?
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2020/02/02
目次
「チュック、ムン…ナム、モイ!」
日本人のベトナム語による新年のあいさつを皮切りに、交流会ははじまった。
ベトナムでは新暦ではなく旧暦を祝う。この日、1月24日は正確には(2020年の)大晦日にあたったが、この挨拶は「良いお年を」も兼ねるのだ。はじまってしばらくは隣席同士で控えめにチビチビと飲んでいた青年たちも、時間とともにお酒も回ってきたようで、ぞろぞろと集まって各テーブルを乾杯して回った。聞きなれた「モッハイバーヨー!(1・2・3・乾杯!)」の大声が館内に響く。
私は(2歳児レベルの)ベトナム語を話し尽くしてきたあと席に戻り、目の前に置かれてあるゴイゴーセン(蓮サラダ)をえびせんにのせて食べた。これこれ。おいしい。ベトナムの味だ。肝心の蓮の茎は入っていないが、きっと島では、というよりそもそも日本じゃ手に入らないのだろう。
壇上に目をやると、横断幕の前で代わる代わる記念写真を撮る男女の姿があった。グッときた。ふと、8年前になる移住当初に、ベトナム人同僚たちにもてなしてもらった歓迎会を思い出す。
お察しかと思うが、ここはベトナムじゃない。
ここは日本、奄美群島のひとつ、沖永良部島(おきのえらぶじま)。ベトナム人の彼らは実習生。
2012年からこのサイトを運営していますが、最近に増してベトナムに関心を寄せる方が増えました。勢いづくダナン市をはじめとした観光もある中、一方で目立ってきたものが日本で働くベトナム人実習生絡み。ときには「実習生を紹介してほしい」という直球の問い合わせも。ここそういうサイトちがうけど。
そう。数年前から全国各地で働くベトナム人実習生が増えています。
名目上は「実習」ですが、事実上、日本の労働力不足を出稼ぎ外国人人材で解消するというものです。この「実習」という表現がのちに語る問題を複雑化させている向きはありますが、需要と供給が成り立っていること自体はぜんぜん問題なしだと私は思っており、制度そのものの話はここではしません。
ただ、その中で、労働環境が整っていない(サービス残業が多い、寮がすし詰め状態、など)とか、そうしたことに起因する失踪や、最悪のケースだと過労死や自殺なども確認されています。以前サイトにいただいた問い合わせには、「勤務中の事故が原因で障害を負った元実習生の患者がおり、帰国後にもリハビリを受けられるのか現状を知りたい」という、ソーシャルワーカーの方からの質問もありました。
こうした話は、ベトナムに関係する仕事や活動をしている方、また在住者の間ではほとんど周知の事実かと思います。最近はニュースになる機会も増え、それに対して憤慨する声も聞くように。共感する部分はありますが、そこで聞かれがちな「ベトナム人かわいそう」という声については強烈な違和感を抱いていました。国民の9600万人が9600万通りの生活を送っている訳で、彼らをひとくくりに語るのはあまりに想像力がなさすぎる。しかし、かく言う私自身も実態が分からずそれ以上なにも言えませんでした。
そこで昨年はじめに取材をして、まとめた記事が上記です。協同組合、日本語学校、外国人向け不動産屋、都内に暮らすベトナム人僧侶のTriさん、など、多方面に取材した内容をまとめてあります。
分かったことは一部ではありますが、背景には労働環境ばかりでなく、実習生を希望するベトナム人の方々自身の情報収集不足や、家族からの期待とプレッシャー、ブローカーなどから課せられる借金、間に入る組織による中抜き、働く水準を満たす前での無謀な送り出し、日本側でのケア不足、などの原因が見えてきました。実習生の間では「行く前はピンク、行ったあとは黒」なんて言葉もあると聞きました。
とはいえ、働きはじめてしまえば、ほとんど当事者間の問題となります。
そこで欠かせないものは「コミュニケーションを通じた文化や価値観の相互理解」。そんなことは分かり切っていましたが、私は外側から取材した人間に過ぎず、「これ以上はなにもできない」「記事にして伝えるまでが精一杯だ」と考えていました。しかし、なんでしょうねこのところ、見えない力でも動いているのかと思うことがあったのです。いつものノリと180度変えて、今日はその話をしたいと思います。
実習生問題を取材した記事では、ある記事にふれています。
「逃げたからといって職場環境が劣悪だとは限らない」については、下記の記事が参考になります。
詳しくは読んでほしいのですが、要約すると、「奄美群島の沖永良部島(おきのえらぶじま)という島では、100人以上の外国人実習生が働くが、過去には失踪者もいた。しかし、島では空港や港に監視を置かない。その理由は、故郷を離れて異国にやってきた彼ら実習生の姿が、島の歴史とー、かつて出稼ぎで本土へ渡った先人たちの姿と重なるから。」といったところ。
何を隠そう、この島は私の母の出身地。ルーツがある島です。純白のテッポウユリが自慢の名産で、太陽がさんさんと降り注ぐ、赤土とソテツとガジュマルの島です。歩いていると製糖工場からでしょうか、ふと黒糖らしき甘い香りが漂うこともあります。私は子どもの頃にここで兄と夏休みを過ごしたり、大学生の頃は毎年菊の収穫時期である春先に農家だった祖父母を手伝いに行ったりしていました。
なので、実習生問題を取材する中で、この島にぶつかったことにかなり驚きました。実際に祖母に話を聞くと(祖父は7年前に他界)、「ベトナム人の女の子が自転車に乗って畑に向かっている様子を見るよ」と。ちょっと前まで、祖母にとってベトナムは、「戦争で大変だった密林だらけの国(あとなぜか孫が住む)」というイメージだったのに、いつの間にか「島で働く子たちの国」に変わっていたのです。
先に書いた島の歴史については知っていました。そもそも祖父自身が島から出稼ぎで神戸に来た人で、母もそこで子ども時代を過ごしており、それがなければ今の私はおらず、アイデンティティに関わることです(なので今でも神戸には島出身者や子や孫が多くいます)。それもあって前述の記事の内容はよく理解できましたが、一方で私自身がこの通りインターネットで物を書く仕事なので、記事タイトルの「逃げていく」という表現に「読ませるために煽っている?」という疑念は正直なところありました。
それから時が経ち、12月に祖母に会いがてら島に戻ったときのこと。さきほど書いたように実習生問題に対する私の取り組みは終えたつもりだったので、島にベトナム人実習生がいることも言われれば思い出すくらいだったのですが、ある方との出会いがありました。それが、要秀人(かなめひでと)さん。
要さん。交流会会場をバックに。
「あの記事を見たときに悔しかったんですよ」
地元海鮮料理店にて。穏やかな雰囲気はそのまま、当時の思いを口にする。
要さんは2015年に島へ移住、黒毛和牛を育てる畜産農家。要さん自身もルーツがあったが、移住者が農業をはじめることのむずかしさを経験し、同じ立場の人をサポートしたいと思い「エラブネクストファーマーズ」という島内の若手農家でつながる組織を発足(趣旨について書かれた記事はこちら)。
彼が前述の記事「実習生が逃げて~」を目にしたのが2018年11月のこと。農家仲間には外国人実習生を雇っている人もいる中で、事実と異なる部分もあり、憤りを感じたという。
「ただ、現実として失踪した事例もあったので、なんとかしないとと思ったんです。それで、実習生を雇用している農家の方に声をかけて、ベトナム人のテトと中国人の春節、あと『肉の日』にかけて、2月9日にBBQ交流会を開きました」(※2019年の元旦は2月5日)
交流会のあと、「これはなにか大きく動くんじゃないか」と思い、ベトナム大使館へ手紙を送ったところ、大使から感謝状が送られてきたという。それからしばらくして鹿児島県の予算に「農業分野外国人技能実習制度適正推進事業」という交流会用の予算がついたので、必ずしも関係がないとは言い切れない。
2019年10月には鹿児島県から知事をはじめとした123名の視察団が訪越し、現地LCCのベトジェットが2020年夏の就航が決定したことを見るに、タイミングもよかったのかもしれません。そんな経緯もあってか、あくまで私が話した方々に限られますが、「実習生のために何かしよう」という思いは関係者のみならず島の共通課題のように感じました。
鹿児島県の県報、視察の報告や、ベトナムの紹介が掲載されている。
そんな要さんとは、たまたまベトナムでの友人から紹介してもらった移住者の方と話の中で、ベトナムつながりということで彼の存在と、今まさに「第二回目の交流会を準備している」という話を聞いたのです。あの島について書かれた記事から一年が経ち、そんな展開を見せていることにかなり驚きました。
そして、要さんにも「ベトナムに8年住んでいて実習生問題についても取材した人が島にいる」と私のことが伝わって、直接お話することに。交流会は要さん(エラブネクストファーマーズ)と県沖永良部事務所が主体となって動いていましたが、「日本人関係者の中でベトナムに通じている人はいないので意見をくれないか」と言われ、そこで私が断る理由などもちろんありませんでした。記事を書き上げ「これ以上はなにもできない」と思っても、なにもしたくない訳では決してない。まるでどこからか、「最後までやれ」と言われているようでした。なにが最後かは分かりませんが。
そして冒頭につながります。
交流会がはじまる直前。壇上の横断幕の(下に見える)ベトナム語は私の方で提案&準備したもの。冒頭で「グッときた」と書いたのは、そうした背景があったから。といっても、内容そのものは友人にチェックしてもらったところ大きく直してもらったけど(Riちゃん、その節はありがとう!)。
実習生の彼らが業務を終えて集まりはじめ、持ち寄ってきたものはなんとベトナム料理!昔から知るこの島でXôi(ベトナムのおこわ)を見ることになるとは…。ここで久しぶりにベトナム語でコミュニケーションをとると、けっこうみなさん喜んでくれた。と同時に、私の語学スキルは2歳児なので、「もっと話せたら」とこの日ほど思ったことはなかったかもしれません。
そのほかにも続々と、懐かしさすら感じるヴィジュアルのベトナム料理が!といっても私11月までいたし、行ったり来たりしているけども。
こちらは日本でいうぜんざいの、チェー。
蓮サラダ、”gỏi ngó sen”(島、というより日本では手に入らないのか蓮抜き)。
「パクチー入れない方がいい?」
「どうだろ?」
「いいよ入れちゃって!」
蓮サラダはえびせんにのせて食べるスタイルが定番で、そのため争奪戦になりがちなのですが…。
めっちゃ持ってきてた。聞くと、ベトナムから仕入れたらしい。
そっか。日本にもあるけど、えびせんくらいの食材になるとその事実自体を知らない可能性あるよな。ベトナムと日本は味が違うって可能性もあるけど。
もちろん日本食の方も運営側で用意されています。
そんな料理をいただく前にまずはこれ。沖永良部島、実は「花の島」としても知られています。テッポウユリをはじめ、スプレーギク、グラジオラス、などなど…。という訳でえらぶの花を使って生け花体験。剣山を使わないので厳密にはフラワーアレンジメントとのこと。
実習生たちのテキパキとした作業を見て、日本人の方は「迷いがない、すごい」と驚かれていたことに、「言われてみれば確かにそうだった」と驚きました。躊躇がない、細かい作業に取り組むと高い集中力を発揮する、というのはベトナム人の国民性(あくまで傾向)においてよく言われることです。
一方でマルチタスクや計画性に弱いとも言われますが、このへんは国の経済状況や安定に起因すると私は考えているので(半世紀弱まで戦争つづきだった国なので、その日どう生きるかという生活が長かった)、それこそ「異文化理解」ですよね。そんな得意分野を知ってもらう意味でも、こういう機会はいいなーと思いました。そういえばもう7年前だけど、俺も友人に生け花をしてもらったことあったなぁ。
県沖永良部事務所の古園さんと、要さんの挨拶のあと、乾杯!
島の演舞を披露&観賞したり、
私も私でベトナム料理と文化の紹介役を拝命。ご覧の通り、超緊張した。
関係ないけど黄色好きだね私。
ただ一点、気になることがありました。
ベトナム料理と文化を私から紹介しているとはいえ、日本人の話すこと。「交流会」としてはベトナム側からもなにかあってほしい…。とはいえ、そもそも彼らは仕事をしに来ている訳で、それをお願いできる道理もありません。会場内のあちこちでベトナム式乾杯が響き渡っているし、ベトナム料理をつくって持ち寄ってきてもらっていて、そんな願いは贅沢かもしれません。でも、壇上でも、なにか…。
そんなとき!
壇上で撮影している人たちが増えてきたなぁと思っていたら…
ズン、ズン、ズン、ズン、ズン、
実習生のみなさん「いえへーーーーい!!」
まぁ、「いえへーーーーい」とは言ってないのですが、
これはまごうことなき”ベトナムビート”!
って動画だけじゃ伝わりませんが、「ベトナムのクラブでかけられがちな4つ打ちのダンスミュージック」です。私はそんなに行かないので聞いた話ですが、最近は都市部では聴かなくなったと耳にしていたので、この選曲がむしろ彼らの出身地ののどかさを思わせる。住んでいた人間的にはたまらん…。
それにしても、
増えていってない?
会場の眼差しも超平和。
考えてみれば島文化でもよく踊るからね。なんなら祝い事じゃなくても、それこそこのちょっと前に出た祖父の七回忌で親戚が踊って会場を回ることになってびっくらこいたよ。俺が踊ること滅多にないぞ。
実は壇上にはベトナム人のほか、中国人と日本人も。なんかもうこのへんで、実習生とか、外国人とか、日本人とか、ぜんぶ吹っ飛んで「あぁ、楽しいなぁ」という気持ちでいっぱいでした。なんかもうめちゃくちゃ、めちゃくちゃだから楽しいし、最高の「交流会」だと思った。
最後にベトナム側の締めとして、実習生のひとり、アインさんが島での暮らしや将来の計画をスピーチ。ちなみに手前で拍手されている男性は勤め先の農家の方。
そして帰るみなさん、「いい汗かいた」感すごい。
と、交流会の様子は以上!
のちに聞くところによると、同日に鹿児島県でも実習生との交流会を開いていたそうです。その参加者数は1,000人以上と聞いたので、想像するばかりですが、ひょっとすると県下の実習生を大集合させたのではないでしょうか(平成30年10月末時点で県下で働くベトナム人労働者は2996人)。もしそうだとしたらかなりの予算が動いていますし、県がそれだけ実習生との関係を大事にしていることは住んでいた者としてうれしいです。それはもしかしたら、要さんが「動くしかない」と思わなければ、そして農家のみなさんや関係者の方々が賛同し、第一回目の交流会が開かれなければ、実現しなかったのかもしれません。
そして、こうしてここに私が居合わせたことも個人的におもしろいなと思います。
さて、ベトナム人実習生は、ベトナムという国が発展して豊かになる過程でいずれは来なくなると思っています。中国がそうであるように。ある移住者の方は、外国人実習生による労働力不足解消に対し、「キズに絆創膏を当てるようなもの」だと言われました。まったく同感です。ベトナム人が来なくなっても、次の国があるかもしれない、次の次ももしかしたらまだあるかもしれない、でも次の次の次は…?
みんな豊かになっていきます。
都合よく、そんな国がいつまでもあるでしょうか。
都合よく、現状の日本に来たいといつまでも思ってもらえるでしょうか。
実習生という仕組みが通用しなくなった次の時代は、「自らの意志で日本に暮らしてもらえるかどうか」ということを考えなければなりません。そんな人が今と変わらない条件で働いてくれるかという課題もあるとは思いますが、技術やアイデアに期待したいところでもあります。そもそも、ジャンジャンつくってジャンジャン稼ぐ構造自体がそろそろ社会的に限界ではないかと私は思っているくらいですが。
ちょっと脱線しつつあるので話を戻すと、社員として、ビジネスパートナーとして、どんな活躍を期待するにしろ、まずは人に来てもらわなければはじまりません。過去に日本で実習生として暮らした人の中では、日本を嫌悪するようになった人もいると聞きます。これは最悪です。はじめの方で「9600万人のベトナム人をひとくくりにするのは想像力がない」とは書きましたが、それでも日本で嫌な思いをすれば、たとえ個人にやられたことでもやはり日本が嫌いになってしまいます。どこのだれでも同じです。
「海外では国を代表すると思って振る舞え」なんて話をたまに聞きます。全体主義っぽくてあまり好かないんですが、相手に情報がなければないほど、個人の印象が国の印象につながるのは事実です。日本は今やそれが、外国人在住者が増える中、海外に行かずともそうなってしまうということです。
だから今、ベトナム人実習生がたくさん来ている今、私たち日本人がホームにいるのですから、こちらから動いて今後も日本と良い関係を築いて、また来るという選択をとってもらうことが必要だと思います。それだけではありません、中小企業だって海外の市場に可能性を探らなければいけない時代、ベトナムもふくめて異文化から学ぶことは山ほどあります。そんな教科書になってくれる人たちがすぐそばにいる、リサーチ要らずです。よき友人になれた人が、次の時代にも歩を進められると私は思います。
そうは言っても人と人。だれにだってクセはある。そんな聖人ではいられない。そういう機会に、行政とか、第三機関とか、今回でいう要さんとか。そういった当事者の隣くらいにいられる人が活躍してほしいと願います。ささやかだったかもしれませんが、会場にベトナム語の横断幕があっただけでも意味はあったはず。大げさなことは必要ない、ただ関係を大事にしましょうという話なのかもしれません。結局。
そんな未来を考える上で、沖永良部島での取り組みは、外国人実習生との交流の、さらに大きな意味では多文化共生におけるひとつのロールモデルなのかもしれないな。なんて思っています。多文化共生、これについては未来の話ではありません。すでに2019年の新宿区の成人式は2人に1人が海外ルーツです。
そんな島に自分のルーツがあるというのは、ただただ幸運。そしてまだまだ、「最後までやれ」と言われつづけている気がします。
最後に、交流会にいらしていた南海日日新聞の方が書かれた記事を張っておきます。