格闘技っていいですよね!
ロシアの大統領・プーチンは柔道の黒帯所持者として知られていますが、帯にはひらがなで「ぷうちん」との刺繍があるそうです嘘です。
※今回は前置きが長めなので(いつもか)、インタビュー本編へ飛びたい方はこちらをクリック。
夕暮れどきにホーチミンの街中を歩いていると、ときどき道着姿の少年少女を見かけます。見たところ、三種類に別れている、空手とテコンドーの白い道着に、青い道着…その青い道着こそが、「ボビナム」の証。青は空と海の色、自由をあらわしています。
ボビナムは、ベトナム生まれの格闘技であり、フランス統治下の抑圧された社会を背景に、「武術によって心身ともに励まし鍛える」ことを目的として、1938年にグエン・ロック氏によって生み出されました。突き・蹴り・手刀・投げ技・関節技・受け身の技術もありと、東西に渡ってさまざまな格闘技を研究し取り入れ、練り上げられたものだそうです。
説明が難しいところがありますが、インターネット上では「すごすぎる足技」として、この動画(またはgifに切り出したもの)が話題になることもしばしば。どこかで見たことがある人もいるかもしれません。
再生位置は、凄技が出る直前に合わせています。
演舞ですが、我々日本人が想像するものとは随分違う。
切り出されたgif。
さて、ところで、ある日のTwitterで、ある方からこちらのリプライをいただきました。
Master Fugo…あっ。
ついに、ついにこの日が来たか…。
説明します。
さかのぼること三年半前、私は前述のボビナムの道場を取材したことがありました。
まぁ、そこで、その、なんというんですか、今でこそまとも…ってこともないと思うんですけど、当時「なんでもおもしろくしなければ!」という直線的思考だった私は、あー、そのですね、以前からこのサイトをよくご存知の方ならお分かりかと思うんですけども、端的に言うなれば…。
おもいっきり、ふざけたんですよね…。
割とほんとに見るの辛い。
今になって考えれば恐ろしいことをしたなぁと思うのですが、このときはとくに何も思わず(すみません!)。それからしばらくして、ボビナムに関する情報があとからちらほらと入ってきました。
んっ?世界45カ国に広がっている武術??
んっ?日本にも道場がある??
んっ?…
もしかして俺、やっちゃった…??
そして、冒頭のTwitterでリプライをいただいた方こそが、その日本の道場の主…ベトナムでボビナムを学び、マスターライセンスを取得、現在日本でのボビナムの普及に努められており、日本ボビナム協会の中枢を担われている、マスター・フゴ氏。ここまで書いて、私の「ついにこの日が来たか」の意味がお分かりになられたかと思います。どんな顔して会えばいいのかな…というか、行かないでおこうかな…。
そんな思いが私の中で渦巻きながらも、来越の目的を聞いたところ…。
なにそれめっちゃおもしろそうだなよし行こう。
ということになりました。
翌日、宿泊先のホテルのロビーで合流。ボビナムの教科書を制作するための取材ということで編集者とカメラマンの方もいらしたのですが、お二人にフゴさんから私を紹介されるときの説明が「やっちゃいけないことをした人」というもので、全身から冷や汗が噴き出して雨季も明けようとする時期にまたまた冠水するかと思いましたが、それだけで済みました。あぁ、よかった。全体的によくはないけど。
優しくて非常に丁寧な方でした!
で、ここからは一転して、まじめなインタビューになります(前置き終わり)。
以前から気になっていたフゴさんとボビナムとの出会い、現在の活動などについてお聞きしました。
ボビナムの師範、マスター・フゴでもあり、また同時にプロレスラーとして全国を巡業する富豪富豪夢路(ふごふごゆめじ)でもあるフゴさん。ボビナムとの出会いは、2011年のベトナムでのことでした。しかし、まずはその前に、プロレスラーとしてのバックグラウンドを少しでも伝えるために、ひとつのプロローグを語らねばなりません。
ネパールでの試合会場の様子
フゴさん「その前年、2010年にネパールで試合をしたんですよ」
私 「ネパールですか?」
フゴさん「そう。ヒマラヤンタイガーという国民的英雄のプロレスラーがいて、ネパールで初めての国際試合があり、そこに呼ばれた。一日目はアメリカ人プロレスラー、そして二日目が日本人プロレスラーの私ともう一人のタッグでヒマラヤンタイガーと試合をしました」
私 「ネパールのプロレスって、イメージがつかないですね…」
フゴさん「それがものすごい盛り上がりで、4000人の観客の熱が上がって暴動騒ぎになったんです」
私 「暴動!?4000人!?」
フゴさん「あっちやこっちからイスが飛んで、翌日のテレビのトップニュースや新聞の一面を飾ってた」
私 「そんなの…あるんですか」
フゴさん「あったんです。アメリカ人選手(リングネーム:Big VITO)をガッチリ守って退場したところ、その選手から『お前らはカンパイボーイズだ!』って名付けられて。それから帰国すると『4000人の暴動から生還した男』って話題になって、いろんな取材を受けましたね」
フゴさんのネパールでのプロレスから暴動の顛末は、長い長いエピローグになってしまうので割愛。こちらの記事に詳しく書かれているので、ぜひご覧ください(
ネパールでプロレスをしてきた男)。なお、その翌年、翌々年と、三年連続でネパールでの合計7試合に出場。これはもちろん日本人最多になる。
ネパールの国民的英雄・ヒマラヤンタイガー(左)と富豪富豪夢路さん(右)。
お話した柔和な印象からは想像もつかない形相と迫力!
ご本人のブログの2010年3月にもレポートがあります(下から古い記事となります)。
当時の熱気がシッカリと書き留められています、ぜひご覧ください。おもしろいよ。
フゴさん「それで周りは、『こいつは海外に行かせるとおもしろいことになるんじゃないか』ってなって。ベトナムもその流れで行ったんです」
私 「そこでつながる訳ですね!」
プロレスのためになるものを探していたら、ボビナムに…出会っちゃった。
ベトナムでの暮らし。ボビナムの創始者、グエン・ロック氏の肖像と。
フゴさん「で、ベトナムに渡って5日間ほどプロレスやそれらしいものがあるか探してみたいけど、手がかりすら見つからない」
私 「そうですね、私も知らないです」
フゴさん「そんなときに耳に入ったものがボビナムでした。ベトナム伝統の格闘技か、おもしろそうだなと。そのときはいかにプロレスに活かせるかということしか考えていなかったのですが」
私 「おぉ!」
フゴさん「すると偶然、ベトナムでボビナムの世界大会が開かれていたんですよ。そこで…見ちゃった」
私 「見ちゃった…」
フゴさん「なんだコレは!と」
私 「ぐ、具体的には?」
フゴさん「ハッキリと言えば、受け身です。一般的には攻撃の方に目が行ってしまいがちですが、プロレスラーとして受け身を見ていたところ、ボビナムの受け身はあまりにも高度で、まるで違う星の技術を見せられたかのような衝撃を受けました」
プロレスラーと言えば首の骨が折れてしまいそうな技を受けても平然としているという、言わば受け身のプロフェッショナル。そんなフゴさんに「違う星の技術」とまで言わしめるのだから、すさまじいことだ。
ベトナムでの暮らし、道場の生徒たちと。
そこでフゴさんはボビナムと出会った。何しろ、その場にいる選手は世界各地から集いに集った超一流、ボビナムの魅力を知る上でそれ以上に理想的な機会はない。それにしても、ボビナムはベトナム発祥とはいえ、その世界大会が毎年ベトナムで開催されている訳ではない(というより80年近い歴史に対してそのときが二回目だったらしい!)。しかも、フゴさんがベトナムにいたタイミングに。引きの強さが異常だ。
フゴさん「それで会場で道着を買って、仕立て屋で『JAPAN』と刺繍してもらい、翌日にまた行った」
私 「やりたいことはなんとなく分かるけど、行動が早い!笑」
フゴさん「それを見て、各国代表が驚いて聞く訳ですよ。『日本でボビナムはいつから始まったんだ?』、それに対し『今日からだ!』と返して回る」
私 「すげぇ…そ、それで、出場できたんですか?」
フゴさん「(ラウンド制のドイケンは)35歳以下でないと出られなかったんです」
私 「あら!」
フゴさん「95kg級の選手は三人だけだったから、全員ぶちのめしたら世界一だと思ったんだけどね」
それから2年後、フゴさんはフランスでの世界大会に出場することになる。
惜しくも(?)飛び入りでボビナム世界一のチャンスを逃したフゴさん。しかし、その魅力に惹かれ、「これは本格的にやりたい!」と決意。どこかで稽古を積めないかと聞いたところ、その場に座っていたある道場の先生から誘いを受けて、なんとその日の夜から稽古がはじまった。なにその適応力…!
フゴさん「それから二週間もすると、どうやら偉い方が来て、私の先生がすごく怒られている。その方が世界最高師範・グエン・バン・チュウ氏で、『せっかく日本から来ているんだから、もっとレベルの高いことを教えろ!』という話になったんです。それからさらにハイレベルな稽古を経て、マスター(指導員)としてのライセンスをもらいました」
私 「すべての展開が早いですね…」
そんな最高師範にこれから挨拶しに行くんだと、ご祝儀袋を準備するフゴさん。
ボビナムとプロレスは「規格の異なるブロック」の関係に似ている
ボビナムの教科書、今回取材しているものはこの次の版となる。基本から世界へ!
フゴさんが考案したボビナムの技術形態相関図(ボビナムテクニックマップ)。
諸外国の指導者からも「そうだよ、(図にすると)この通りだよ!」と絶賛されたとのこと。
当初は、「プロレスに何か持ち帰ることができれば」と考えていたフゴさん。しかし、学べば学ぶほど、「ボビナムはボビナムとして持ち帰らなければいけない!」と考えるようになったとのこと。
フゴさん「オモチャのブロックがあるじゃないですか、レゴとダイヤって。似ているけど、規格が違うから組み合わせることは出来ないでしょ?ボビナムとプロレスも、その関係に似ていると思ったんです」
私 「構造そのものが違う?」
フゴさん「そう、ボビナムはボビナムでゼロから積んでいくしかないんですよ。どれだけ運動神経に優れたオリンピック選手でも、横から入って簡単には真似できないと思います。だから周りにも、『プロレスはプロレスで、ボビナムはボビナムでやっていく』と伝えて、日本で広めることに決めました」
それでいて、プロレスとボビナムは、「ときどき日食のように違う軌道と速度のものが重なる時がある」という。次元が高すぎて、素人の自分にとってはまるで小説か映画のような話に感じる…。
私 「その、素人の私には正直違いが分からないところもあって…。たとえばボビナムの象徴的な技のひとつで両足で相手の上半身を挟んで倒すやつ、あれはプロレス技のフランケンシュタイナーっぽいなと思っていたんですよね。それも実際は全然違うものなんですか?」
ボビナムの特徴的な足技、ドンチャン。
こちらがドンチャンの解説動画。
フゴさん「そうですね、よくフランケンシュタイナーやフライングヘッドシザースなどと言われますが、微妙に入り方が違うんです。ドンチャンは足技の総称ですが、21種類に及びます」
私 「21種類…!」
フゴさん「ベトナムで、ボビナムの技について日々研究を重ねる暮らしの中で、ある日突然、ベトナム兵の魂が降りてきたかのように映像が頭に浮かんだことがあったんです」
私 「映像?」
フゴさん「ジャングルの中でアメリカ兵がいて、それを草むらの陰から息を潜めて見ている自分。ちょっとでも躊躇すると撃たれてしまう…一気に!一気に飛びかかって仕留めなければこちらの命が危うい」
私 「!あぁー、実戦的な…」
フゴさん「1960年代、日本人が『無責任時代』と騒いでいた頃に、ベトナム人は命のやり取りをしていた。ボビナムの動きというものは、そんな過程を経ないと到底たどり着くことのできないものなんです」
この説明で腑に落ちた。プロレスラーであり、空手やレスリングの経験者でもあるフゴさんは、言ってみれば、人をぶっ飛ばし・ぶっ飛ばされて、をずっとずっと繰り返してきた格闘家だ。そうしたバックグラウンドがある人が触れてこそ、またボビナムのバックグラウンドも知り得たのかもしれない。
インタビューの翌日、グエン・バン・チュウ氏の誕生日パーティに私も参加させていただくことに!
教え子がアジア大会で銅メダル獲得!着々と広がる日本のボビナム道
ダナンで行われたアジアビーチゲームズにて。銅メダリストの貞松慶美さんと。
今年の9月にダナンで開催されたアジアビーチゲームズ(アジアオリンピック評議会主催の競技大会)では、なんとボビナムで(「龍虎型」という種目、英語だと”Dragon Tiger Form”…カッコイイ!)、教え子の貞松慶美さんが銅メダルを獲得。すごい!ボビナムを日本に伝えることのみならず、成果を出している。
フゴさん「ボビナムを、自分の解釈から指導した結果として成果を出せたことは、嬉しかったですね」
なお、貞松さんは、普段はポールダンサーとのこと。おもしろい!と言っていいのか分からないけど、フゴさん自身がプロレスラーという職業もあって、周りにもユニークな仕事や活動をしている人が集まってくるのかも。魅せる仕事という意味では、アクロバティックな動きも多いボビナムと相性が良いんだろう。
私 「今、日本のボビナム人口はどれくらいなのですか?」
フゴさん「今は100人ほど、東京では20人ですね」
福岡にて、教え子たちと。
最近ではベトナム人留学生の増加とともに、「日本でもボビナムをやりたい!」というベトナム人生徒が増えているらしい。現在は、日本人とベトナム人が半々くらいとのこと。まだまだしばらくはベトナム人比率が増えるかもしれないなぁ。
フゴさんからグエン・バン・チュウ氏へ、ボビナム仕様のチャンピオンベルト!
最高師範への贈り物だが、しばらくは参加者が着けては撮ってを繰り返していた。
今この場に日本人がいる、凄さ。
最高師範のお見送り。
グエン・バン・チュウ氏の誕生日パーティは終わり、車に乗り込む最高師範をその場にいる教え子たちが見送った。そこでふと一歩引いて見ると、改めてフゴさんの存在感が際立つ。世界各地に広がっているメジャー競技(格闘技)、その総本拠地であるベトナムの、最高指導者の誕生日パーティに、日本人が一人。
このあとフライトまで半日以上あったので、協会本部からホテルを手配し送ってもらうという厚待遇!
フゴさんはベトナム語が出来る訳ではないし、その場にいる人たちも英語が話せる人は少数。それにも関わらずこのような場に呼ばれているということは、ボビナムを通して非常に力強い絆があるという証明だ。五年前にフゴさんがボビナムを学んだ時期にいた生徒たちも、何人かはこの会場に招待されており、「彼らも成長してこの場にいるということが嬉しい」と話していた。私がそれを言う立場でもなんでもないのですが、それでも言いたい。ベトナムを愛するひとりとして、フゴさんとボビナムが出会えて良かったと思う。
誕生から80年近く経った今も、世界中の人々を心身ともに励まし鍛えているボビナム。
最後にフゴさんは、「
『ボビナムを日本でメジャーにしたい』のではない、『世界でメジャーだと日本に伝えたい』んだ」と話してくれた。今は、都内で教えるとともに、プロレスラーとしての全国での巡業先でも、現地の道場を借りたり、またリング上でボビナムを伝えているとのこと。
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また、現在はボビナムと並行して、ベトナムでもプロレスを教えているとのこと。
同時にやられているんですか!と驚くと、フゴさんは「人生は短い」と返してくれた。
聞き慣れた言葉だけど、私にはこれまで発した誰よりも重く、説得力に満ち溢れたものでした。