ベトナム最後の楽園・コンダオ島(Con Dao):監獄巡り編

ベトナム最後の楽園・コンダオ島(Con Dao):監獄巡り編

大脱走っていいですよね!

1963年に公開されたアメリカ映画「大脱走」ですが、吹き替え版では主役のスティーブ・マックィーンの声を西田敏行が当てていたそうです嘘です。

 

さて、前回の記事で最後に書き記したコンダオ島が観光地として開発されてこなかったある事情。今回はそれについてお話します。
コンダオ島へ行く前に、ベトナム人の友人とこのようなやりとりがありました。

 

ネルソン「コンダオへ行ってくるよ!」

友人  「えっ…幽霊に気をつけてね」

 

どういうことか、ベトナム人の間ではコンダオ島は幽霊が出る島として認知されているのです。
この謎を追っていくと、コンダオ島が持つ悲しい歴史が見えてきます。

かつてこの島は「監獄島」と 恐れられ、フランス統治下ではフランスによって、ベトナム戦争時下はアメリカと南ベトナム(ベトナム共和国)によって主に政治犯(フランスからの独立活動 に関わったり、現在の政府の思想である共産主義を持つ者)の流刑地として利用されていました。その期間、実に100年以上にも渡ります。

その歴史の中で、烈士(革命活動の末に命を落とした人)を含めて2万を超える魂が眠っていると言われ、そういった歴史を学んでいるベトナム人にとっては悲劇の地であると同時に、幽霊が出る島として知れ渡っているそうです。

日本だと、監獄があった訳じゃないですが(捕虜収容所は別として)、沖縄のひめゆりの塔のような、硫黄島のような、そのような印象があるのかもしれません。なお、先日の日越友好40周年ドラマ「The Partner」の題材となったあのファン・ボイ・チャウもコンダオ島に収容されていた時期があるそうです。

コンダオ島へ来たのなら、この監獄巡りは欠かせません。

スキューバーダイビングをした翌日は全てこのために時間を空けておきました。
そして、後にこの経験は、私にとってベトナムに対する姿勢を改めるきっかけとなりました。

いつも以上にたっぷりボリュームな記事です、お時間のある時にゆっくりお読みください。

 

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まずは、市街地の中心に位置するコンダオ博物館に向かいます。

 

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この建物も結構古い、監獄島時代からあったものを流用したのでしょうか。

 

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ここで20,000ドン(100円程度)のチケットを購入すれば、

 

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このようなバッヂをもらい、博物館と島に点在する収容所を見学出来ます。

ていうか、何コレ。単純にめちゃくちゃ俺好みです。
このデザインのTシャツやバッグがあれば間違いなく買ってる。

さて、それでは入ってみましょう…。

 

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て、あれれ??

 

ネルソン「ちょっとこれじゃ暗いよ、照明照明。」

スタッフ「チオーーーイ!(誰かを呼ぶ)」

 

……

………

 

ネルソン「まだ?」

スタッフ「ホン…(手の平を上にしてフルフルと振る)」

 

うわ、マジか。

諦めやがった。

 

も、もしかしたら停電なのかな…?
となるべく良い方に解釈して、しょうがないのでそのまま展示室へ入ります。

 

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暗!

 

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暗!

 

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怖!

偶然でしょうが、この停電がかえって歴史の暗さまで演出している…。

 

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こちらの少女の写真だけ他よりちょっと良い額縁に入っていました。
彼女は、ベトナム人で知らない人はいないというほどの有名人。

詳しくは、次回の記事でまるまる一本分ご紹介致します。

 

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一部レプリカのようですが、足枷が置かれていました。
正直、ほとんどがベトナム語表記だったので、具体的な歴史は掴めず。
とはいえどのようなことがあったのか視覚的にダイジェストで知ることは出来ました。

収 容所として機能していた時代には、この島では本当に凄惨な現場であったこと。そして、この地で命を落とした烈士は、(烈士という名称が既にそうなのです が)建国の志士として尊敬の念を持たれていること。少し、日本の幕末の、高杉晋作などといった攘夷志士たちと被る部分もあるでしょうか。

 

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ちなみに展示室の壁面には、申し訳程度に檻の絵が描かれています。
いや、すまんね、つっこむところはつっこませてもらうね。これって必要あるか?

 

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博物館からものの三分ほど歩けば最初の収容所に到着します。
これは、フランス統治の頃からあったもののようです。

 

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たとえ人の尊厳を踏みにじる現場であったとしても、なんとも古いものには色気が漂います。

 

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ちなみに正門の上には、看守のマネキン付き。こっち皆んな。いや仕事か。近付いてみた。

 

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このヒゲはフランス人っぽいな。

 

ん?

 

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ゆ…!

 

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指が……!!

 

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落ちてますやん…!!!

 

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慌てて、

 

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取り付けて、

 

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くっつかないので挟んでおいた。
ていうかやったの俺じゃねーし慌てる必要ねーし。

 

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柵には脱走防止のためか、エグい数のガラス片が刺さっています。

 

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この時点で笑えなくなってきたな…と微妙な表情。

 

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眼下には、ベトナム人の観光客の皆さんがいました。なるほど、確かにここからならよく見えるようです。

なお、この先、収監風景を再現するマネキンがしつこいくらいに登場します。
中にはショッキングなものも含まれるので、自己責任で読み進めてください。

 

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当時から変わっていないであろう鉄扉をくぐり、

 

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収容所の先へ先へと進みます。

 

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地面のあちこちには真っ赤になって枯れた落ち葉。
最も人が多く来るであろう収容所ですが、まめに掃除はしていないようです。

 

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それでは、

 

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いざ監獄の世界へ…

 

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これは…

 

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マネキン…か。

 

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一人ひとりの、

 

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表情のレパートリーがすごい。

 

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かつてここに投獄されていた人がつくったのか?
と思うほどに鬼気迫るものがあり、感情まで伝わってくるようです。
苦痛、虚無、絶望、そういった感情がこの閉ざされた空間に充満しているように感じます。

 

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全ての囚人の足首はこのような形で拘束されています。
今通されているものはマネキンですが、つい40年ほど前には人の足首が通されていた訳です。

 

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天井は脱走防止のためか金網が張り巡らされています。

 

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トイレであったであろう場所には、穴と桶しかありません。
たったこれだけで、相当劣悪な環境であったことが分かります。

 

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この場で命を落とした方々も多く、供養のものと思われる線香やお供え物も。

 

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再び、観光客が。この日は日曜日ということがありましたが、特別観光シーズンという訳でもないのできっと毎週来ているのでしょう。
今でこそリゾートして注目されているコンダオですが、特にベトナム人にとっては昔から記憶に刻むべき歴史のある島なのかもしれません。

 

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敷地内はこまめに掃除されている様子もなく、あちこちに枯れ葉が落ち、草木が生い茂り、

 

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壁面の塗装は剥がれ落ち、経年によって廃墟が醸しだす侘しさのようなものを感じられます。

 

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一部の部屋に至ってはロクに掃除もされず正に廃墟そのものです。

 

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こちらは初代ベトナム社会主義共和国主席を務めた”Tôn Đức Thắng”さんがいた独房とのこと。
ベトナムに住まれている方は、通り名として覚えられていると思います。
(ベトナムでは、主要な通りに歴史上の人物の名前が付けられています)

 

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強制労働の様子、

 

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この作り込みに、改めて製作者の念を感じます。

 

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男性ばかりでなく、女性の囚人もいたようです。
それぞれの表情から色々な感情が読み取れます。

 

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博物館最寄りの収容所から他の収容所へは、少し離れます。
レンタルバイクを借りていたので2〜3分ほどの移動。

写真の通り、スッカリと干潮の時分でした。
この潮の満ち引きは50年前も100年前もずっと同じだったんでしょうね。

 

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この収容所には、とある悪名高きものが存在します。

 

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タイガーケージ(虎の檻)です。
ホーチミン市の戦争証跡博物館に行かれたことがある方は、レプリカをご覧になったのではないでしょうか。

 

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一見ただの独房が集まった建物ですが、二階に上ると…。

 

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このようにそれぞれの独房の天井は鉄格子になっており、

 

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二階から被収容者の様子が窺い知られる仕組みになっています。

 

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その傍らには石灰…。

 

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石灰は水と反応すると火傷するほどの熱を発し、これをかけることは拷問を意味する訳です。

 

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その上から、棒で突く。
こうやって、収容に反抗する囚人を力尽くで大人しくさせます。

 

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ひとつ、気になる光景の独房がありました。
踏み込む看守に恐れる囚人ということでしょうか?

 

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下に降りてみると…

 

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とんでもない、反抗の意思を示すため自分の内蔵を投げ付けている光景なのです。
想像からこのような光景は生まれてこないでしょう、きっと実際の出来事だったのだと思います。
ところで、ホーチミン市に戻ってから友人とこの光景の話をしているとこのようなことを言われました。

 

友人「あのマネキン、笑ってたよね?」

ネル「いや、笑ってなかったと思いますよ?」

友人「いや、笑ってた。絶対笑ってた。間違いない。」

 

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全然笑ってないんですよね…一体、友人は何を見たのでしょう……。

 

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独房の中から、かつてここで起こったことに思いを馳せます。

 

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その向かいにも独房が並び、

 

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息絶え絶えの囚人(のマネキン)が…。

 

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コンダオに滞在していた4日間は一度も雨が降らず喜んでいたのですが、この日差しに朝から日暮れまで浴びせ打たれると想像するだけで本当に恐ろしい。塀の上に刺さった数多くのガラス片が鈍く光っています。

 

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この独房にはひとつひとつ何かしらのマネキンが置かれてあり、このように暴行を受けている様を再現しているものもありました。

 

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皮肉にも、その真向かいにある病院跡。どれだけ機能していたかは、分かりません。

 

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な お、当時の状態のままで保存されているタイガーケージはひとつだけで、それ以外は中途半端に取り壊されています。こういった過去の戦跡はなるべく潰したい ものなのか、それとも単純に鉄を持って行っただけなのか。この壊し方から察するに、これに限っては後者だという気もしますが…。

 

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とりわけこの日は快晴で、青く澄んだ綺麗な空と白い雲が、かつて人の尊厳が何度も踏みにじられたであろうこの建物たちと皮肉にも調和していました。タイのアユタヤのような遺跡独特のムードすら感じます。

 

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敷地内では野良犬が闊歩し、

 

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熱心に手入れされてはいないところから、

 

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これからも時間を掛けてゆっくりと朽ちていくのでしょう。

 

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最後にこちらの収容所。
これまで紹介したものはフランス統治下でつくられたものであり、これはベトナム戦争から、つまりアメリカとベトナム共和国が建設したものということです。

 

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向かいにも収容所があり、これらはうっそうと木々が生い茂る中にあります。現在は舗装された道が通っていますが、一説では外から見られないように意図的に建設されたとも言われており、もしそうだとすればこの中でどれだけ残酷なことが行われていたのでしょうか。

 

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入ってみます。

 

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この通り、中には照明らしいものが一切取り付けられていません。

比較的、市街地にあるフランス統治時代からの収容所が展示用に整備されている状況に比べ(それでもまめにやっているとは言えませんが)、こちらの収容所はほぼ放置されていると言っても過言ではありません。

 

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マ ネキンも何も無いため当時の状況を窺い知ることは出来ませんが、それは「ほぼ人の手が加えられておらず、当時の状況とほとんど変わらない」ということを意 味し、まるでタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。おどろおどろしいマネキンが無いよりも、かえってこちらの方が私には恐怖を感じました。

 

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そ んな過去を持つコンダオ島も、今は5,000人以上の人々が暮らし、リゾートである側面を持つと同時に、豊富な海産物に恵まれてココヤシやコーヒー豆が栽 培される平和で牧歌的な島となっています。海洋上重要な位置にあるためベトナム軍基地を擁しており、街の中では時折迷彩服姿の軍人の姿を見掛けるものの、 かつてこの島が100年以上に渡って「監獄島」として恐れられていたなどまるでフィクションのようです。だからこそ、もしこの記事をご覧の方がコンダオへ 行かれるならば必ず収容所は見てほしいと思います。

この日は、私にとってベトナムの見方を改めるきっかけになりました。

こ れまで「ベトナムが好きか?」と聞かれればもちろん「好きだ」と答えていましたが、それは日々面白いことが起こるからという理由からでした。もちろんベト ナム戦争は知っていたし、戦争証跡博物館を含めてホーチミン市内にある歴史的建造物はひと通り見ていましたが、実際にその時代のひとつの現場に行くことに よって、写真や文字だけでは知り得ることの出来ない空気という情報を骨身に叩きこまれたようでした。

たとえはおかしいかも しれませんが、まるで付き合っていた恋人に暗い過去を打ち明けられたようなショックがありました。しかしその過去が、今のその人(ベトナム)を形作ってい ます。もっと、真正面から、ベトナムについて知ろう。特に私は、ベトナムを紹介しているサイトを運営している立場なのです。今だけじゃなく、過去も未来も 含めて知ってこそ、ベトナムを知っていると言えるのだとそう強く思いました。

 

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ほぼ全ての収容所を回った後で普通にテンションが下がっている私

 

***

 

この次のシリーズ記事は、コンダオ島で亡くなった烈士で最も有名な人物を紹介します。
その名はVõ Thị Sáu(ボー・ティ・サウ)、独立運動の中で18歳という若さで亡くなった女性です。

コンダオ島には彼女の墓があり、そこでは夜な夜な人が集まるという噂を聞きつけました。

一体何故でしょうか、現場で何が起こっているのか見てきました。

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