日本に住むベトナム人は、就職、留学、結婚など状況は様々。その中で、大阪府八尾市は最大級のベトナム人コミュニティのひとつであるということを知っていますか?その背景について市役所で伺いました。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2014/04/16
日本に住むベトナム人は、就職、留学、結婚など状況は様々。その中で、大阪府八尾市は最大級のベトナム人コミュニティのひとつであるということを知っていますか?その背景について市役所で伺いました。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2014/04/16
歯ブラシっていいですよね!
歯ブラシは歯を磨くからではなく、ブラシ部分が歯の形状をしているからそう呼ばれたそうです嘘です。
そんな歯ブラシが日本一の生産量を誇る街…。
大阪府、八尾市に来ています。
前回はハノイだったじゃねーか、なんて言わないで!
公開順が時系列ではないだけです、そのうちダナンも織り込んでくるだろうから。
私の実家は大阪市なので近隣なのですが、実はこれが初八尾。
大阪駅から30分で来れるんだね~、隣街とはいえ大阪も狭いものだ。
駅前はこの通り、わちゃわちゃしています。
とはいえ日本でよく見る光景だと思うのですが、ベトナムから来た私にとっては大都会そのものだった。
と、なんだか日本語をマスターした留学生の回想みたいことを言ってしまった。
今回は、同行者が二人います。
左から、ベトナム人留学生のHai Nguyen君と、最近までベトナムに一年間留学していた旭君です。
さて、そろそろ、我々が何故に八尾市に来ているのか説明しなければなりません。
実は八尾市は、日本でもベトナム人が多く住む街のひとつ。
大阪府下においては最大規模のベトナム人人口を有しています。
他にも、神奈川県藤沢市と兵庫県神戸市がありますが、ここにはどのような理由があるのでしょう。
そこで今回は、八尾市市役所に伺っていろいろとお話を聞かせていただくことになりました。
が、その前に…腹ごしらえだ!
今回八尾市に行くとfacebookで表明したところ、こういったメディアをやっているためか八尾市に関係する方々から続々とレスポンスが。
その中に「ドンアンというベトナム料理が美味しい」という情報をゲット!
この展開でベトナム料理とか最高じゃ~ん、行ってみないとダメじゃ~ん。
Hai君は元々はべとまるの読者で、以前から交流がありましたが、今回が初対面。
桃山学院大学で勉学に勤しむ四回生(当時は三回生)です、日本語検定N1級のスーパー学生さん。
以前、就職活動についてインタビューをしたことがありましたね。
Hai君「昨日4時まで起きてたんですけど、レッドブルを飲んで目を覚まして、一昨日もレッドブルを…」
何故かHai君、会うなりレッドブルについて熱く語ります。超語ります。
Hai君「いや、知らないですか!?レッドブル最高ですよ!めっちゃ目が覚めますよ!?」
よし、分かった、君はこれからファミリーネームを取って「レッドブル・グエン」と名付けよう。
Hai君 「ところでネルソンさんって、会ってみると意外に大人しいんですね」
ネルソン「うるせーよ、こちとら言われ尽くしてんだよ」
あ!
あったー!
電話番号のユーザビリティ!
ネルソン 「ハノイでは美味しいものが多かったけど…」
Hai君&旭君「日本でのベトナム料理はどんなもんだ…」
~30分後~
いやー、やっぱり日本食って最高だよね!
食後に旭君のベトナム語テストを行う二人。
Hai君はハノイ出身で、旭君はサイゴン弁が染み付いているのでギャップが面白いそうです。
俺、全然分かんねーけどな。
勉強しよ…。
そのあとでいよいよ、八尾市市役所へ…建物ご立派ー!
なお担当者の方には、前日夕方にメールを送ったにも関わらず当日朝にすぐご連絡をいただきました。
本当に、迅速かつご丁寧なご対応をいただき有難うございます。
左から私、人権文化ふれあい部市民ふれあい課総合案内室の小西室長、ベトナム人窓口で通訳を行っている山本恵子さんです。山本さんは元々はベトナム人で、現在は日本人に帰化されています。
こ こで一点、驚くべきことがありました。さきほどfacebookで八尾市へ行くと表明したと書きましたが、実は山本さんはその際にご連絡をいただいた方の お母様だったのです。「母が市役所で通訳をしている」という話は聞いていて、調整したところ会うことが難しそうだったのですが、市役所へ直接行ったところ まさかのご本人登場という展開。世間は狭いといいますか…取材範囲がピンポイントだからとも言えますが。
いろいろとお話をうかがいました。
*
目次
ネルソン「今日はお時間いただき有難うございます、宜しくお願いします」
山本さん「宜しくお願いします」
ネルソン「八尾市市役所にはベトナム人窓口がありますが、そもそも人口はどれくらいなのでしょうか」
山本さん「八尾市全体の人口が27万人に対して、900人…今は1000人くらいかもしれません」
ネルソン「そうなったきっかけは、やはり難民の受け入れ施設があったということですか」
山本さん「その施設は姫路にありましたが、それから家族や親戚が中心となって移り住み、また人が人を呼ぶという形で八尾市にコミュニティが出来上がっていきました。また、八尾市には工場が多くあったので、雇用促進住宅(※1)というものがあったことも大きいです」
※1…勤労者向けの住宅。移転就職者用宿舎とも呼ばれる。八尾市には3つの雇用促進住宅があり、多くのベトナム人市民が暮らしていた。
ネルソン「山本さんもその内の一人ということですよね」
山本さん「私が日本に来たのは30年前で、八尾市に住んでいたベトナム人家族は3~4世帯のみでした」
ネルソン「現在の1000人に対して3~4世帯…30人もいないですよね。どのような経緯で日本へ?」
山本さん「ボートピープル(※2)として。クェートのタンカーに出くわして、イギリス人船長が長崎に打診して受け入れるということになりました」
※ 2…ベトナム戦争でサイゴン陥落(現在のベトナム主観では「解放」となる)以後に旧ベトナム共和国から数多くの難民が国外に亡命。ボートピープルの多くは 都市部で商業を営んでいた華僑や華人であり、その他南ベトナム政府関係者や旧南ベトナム軍関係者とその家族、資産家、地主、が多かった。
ネルソン「クェート、イギリス、そして日本の長崎…何ともグローバルな」
山本さん「やはり戦前戦時の南ベトナムは自由資本主義だったので、アメリカはいい国というイメージがありました。なので、国を出る人はみなアメリカに行きたいと言っていましたね」
ネルソン「私の友人にもいますし、戦後まもなく南ベトナムから、日本のみならず世界各国に人々は出ていったと聞いています。その人数は、どれくらいなのですか?」
山本さん「ベトナムの人口をご存知ですか?」
ネルソン「?…9,000万人くらいでしたでしょうか」
山本さん「実はその人口は、3,4年前までは8,500万人でした」
ネルソン「え、それってもしかして…」
山本さん「そう、その増えた人口が国を出て海外に住むようになったベトナム人です」
ネルソン「500万人!今のホーチミン市の人口が850万人で、当時はもっと少なかっただろうから…少なくとも規模としては、サイゴンにいたより多くの人間がそっくりそのまま出ていったようなものですね。一国の歴史としては、衝撃的なものです」
山本さん「ベトナム政府も今は、その国外へ出た人間を自国民、ベトナムの人材として数えている訳です」
ネルソン「今のベトナムの経済発展も、海外から再び戻った『越僑』(ベトナム国外で育ったベトナム人)の活躍抜きにしては語れないとも聞いています」
山本さん「最近では越僑が集まる会議もベトナムで開かれ、私も参加していますよ笑」
ネルソン「す、すごいお方でいらっしゃるではありませんか…」
ネルソン「市役所の話に戻りますが、ベトナム人市民の方からの相談内容としてはどのようなものが多いのでしょうか?」
山本さん「転入、転出、生活に関わる相談などです。また、申請書を読んでも理解できないから教えてほしいというものが多く、字が小さいから捨てたら大事な資料だったとか、大事に持っていたらただの広告チラシだったとか、そういうものもありますよ笑」
ネルソン「私も同様の経験をベトナムでも頻繁にしているので笑えない…。しかし、戦後まもなく来られた方はもう何十年といる訳ですよね、その子供たちは日本の教育を受けている。それでも相談に来る理由とは何でしょうか」
山本さん「こちらで生活が安定して、家族や親戚、また配偶者をベトナムから連れてくるのです。だから八尾市には今も、ベトナム人市民が増えています」
ネルソン「サイゴンでもLe Thanh Ton通りには日本人が多く住みますが、人が人を呼ぶものですね。相談は一日に何件くらいありますか?」
山本さん「10件以上ある日もあれば、0件の日もあります。天気次第ですけど笑」
ネルソン「天気次第とはベトナムらしいですね、よく分かります笑」
山本さん「また、こんな話がありました。とある会社で研修生の通訳としてお手伝いをしていたのですが、寮の大家さんが『ペット禁止なのに彼らは犬を飼っている』と言う。でも、研修生に聞いても『飼ってない』と言う。そんなやりとりが何度が続いて、大家さんは証拠を持ってるから見せてやると言い出し、取り出してきたものがゴミから出した犬用の缶詰だったんですね」
ネルソン「結局、飼っていた…ということですか?」
山本さん「それが違うんですよ。研修生は北部の人だったんですが、初任給が入ったので美味しいものを食べようと。それでスーパーに行けば缶詰が並んでいて、パッケージに魚や牛などがプリントされている中で犬がいる、犬がいるならそれを買おう!と」
ネルソン「北部だと犬はご馳走ですからね…ということは笑」
山本さん「そう、彼らは犬の肉だと間違えてドッグフードを食べたということです笑」
ネルソン「異文化をテーマにした落語みたいだ笑」
山本さん「それを知った大家さんが謝って、それからというもの研修生の彼らに色々と差し入れをしたり、関係は良好になりました」
ネルソン「いい話ですが、面白い話ですね笑…貴重な話や面白い話、どうも有難うございました!」
山本さん「いえいえ、こちらこそ!」
*
それから、ベトナム人市民の多い八尾市で更に多く住むという高美町へ。
そこにはかつてアパートがあり、ベトナム人の皆さんが多く住んでいたそうです。
そのアパートは、今では空き地になっているとのことですが…果たして見つかるのかな。
この頃はもう3月に入っていたとはいえ、まだまだ寒風が吹いていました。
旭君の髪が片側にまとまり過ぎて、韓流アイドルにいそうな感じになっています。
て、Hai君は…?
おい!何を賢くしのいでんだ!出てこいコラ!!
地図だとこの辺り…。
あ!
紛れも無くベトナム語やーん!
と同時にすごい努力のうかがえる日本語も発見しました。
それにしても、さきほどのアンドンでもほんのちょっと感じたけど、ベトナムであまり見ないフォント。
アラビアっぽいというか…魔法っぽいというか……これは考えたところで分からんが不思議だなぁ。
ところで、ベトナム現地でバイク修理というのはもうお家芸といってもいい。
お店の数に比例して修理屋人口が高いと思います。
このノボルさんももしかしたらベトナムで修理屋をやっていたのかもしれません、人に歴史を感じます。
が、この発見から…。
歩けども歩けども…。
Hai君「見つからないですね…」
旭君 「そうですね…」
ネルソン「あ、ちょっとHai君、ベトナム語で叫んでみてよ!」
Hai君 「いいですよ!」
旭君 「軽!」
Hai君 「Có người Việt Nam nào ở đây khôngggggggggggg!?(ベトナム人の方はいますか~!)」
Hai君 「Có người Việt Nam nào ở đây khôngggggggggggg!?(ベトナム人の方はいますか~!)」
Hai君 「Có người Việt Nam nào ở đây khôngggggggggggg!?(ベトナム人の方はいますか~!)」
ネルソン「いい天気だね…」
Hai君 「そうですね…」
※実際は叫んでません、近所迷惑だから。
で、結局、見つかりませんでした。
という訳で後日、山本さんから写真をご提供いただきました。
有難うございます!それにしても、思った以上に広い…。
今 から30年前(私が生まれた年!)、ここに数世帯が集まり、それから人が人を呼び、国籍の形はいろいろなれど日本社会の一員となり、現在までの1000人 規模のベトナム人コミュニティを形成していきました。日本政府は現在、ベトナム人観光客のビザ免除に動いていたり、留学生や研修生を数多く受け入れるな ど、日本とベトナムの関係はより緊密になっていっています。その中で既にコミュニティが形成されている八尾市も、藤沢市も神戸市も、その関係構築の上で重 要な役割を果たしていくのでしょう。
ちなみに山本さんいわく、「ここで叫んでいたら10世帯くらい飛び出していたよ笑」とのこと。
***
おまけ、八尾市にあった変なもの。
完全にガンたれてやがる。
鎖で拘束されているところを見ると凶暴らしい。