- 9月 13, 2015
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ゴマの風味がたっぷりちょい辛!担々麺風フォー:ホーチミン・グルメ調査隊
フォーはもしかしたらベトナムで最も食べられている食べ物かもしれませんが、、担々麺のようなフォーという……

写真っていいですよね!
真実を写すと書いて「写真」。と思いきや、真実ではなく「真心を写す」という意味からこの言葉になったそうです嘘です。
調べてみると、どうやら本当に「真(実)を写す」方らしい…と、なんか、元は中国の言葉だとか、複雑そうだったので、ここはggrksということでお願いします。ggrksっていうか…ググれという言葉自体もう死語だよねぇ。たぶん。何言ってるか分からない人は写真もggrksも調べてください。カスなんて思っちゃいないが(予防線)。さて~~。
今回は、知人から古い写真アルバムをお預かりして、スキャナー&AIの力を借りてカラー化し、ご本人にお見せしたらめちゃくちゃ感激されたというお話です。ただの白黒写真が最新テクノロジーで鮮やかに蘇り、人の心と記憶を大きく動かしたという体験だったので、皆さんにシェアしたいと思います。まず、そもそもなぜそれをしようと思ったのかという話から。
11月下旬から3月末までのほぼ4ヶ月間、和泊町教育委員会で歴史関係の仕事をしていたのですが、そこで、民俗写真家の芳賀日出男氏が70年前に沖永良部島で撮影した写真を展示するというイベントがあったんですね。島の人々の生き生きとした表情や暮らしを収めた写真はどれも魅力的で、被写体との距離感からも芳賀氏の素晴らしい人柄を想像できるのですが、もちろんすべて白黒写真。
この魅力ある写真を「AIで彩色したらどうなるだろう」と思った私は、提案して15枚くらいを彩色させてもらったと。そうすると、そもそもその写真展が盛り上がったのもあるのですが、「もっと彩色した写真を見たい」という意見をどしどしいただきまして。
それではと、最後の仕事として役場1階でミニ展示をやったのであります。
芳賀氏の写真をカラー化 和泊町で「70年前のシマの色付き風景」展|南海日日新聞

ここでせっせと彩色しながらふと思ったんです。待てよと。当時、珍しいにしてもカメラは芳賀氏以外の人も持っていたはずで、70年前といかなくとも、在りし日の島の姿を収めた写真は、個人所有のアルバムにもたくさん眠っているはずではないか!と。
そもそもうちの祖母が持っている写真でも、母が幼少期のものがあるので、それって60年以上も前のものです。そんな島のかつての姿を留める写真を、島のみんなで見ることができたなら最高じゃあないですか。そんな話を、手々知名の老舗居酒屋「食材屋えん」の大将・のりおさんと話していたら、後日、親御さんが取っていたという、分厚いアルバムが4冊入った段ボール箱を渡されました。ありがてぇ機会をいただく一方で、これは責任重大だぞと思い、スキャンを始めたというわけです。

で、そんな白黒写真をカラー画像データ化するまで、どんな工程を踏んだのか。
まずスキャナーを買いました。当たり前ですが。昔はもっと高く売られていた気がしますが、今は1万円を切っています。うれしいね。もともと書籍の自炊(自分で電子書籍化すること)用に、書類の束をセットすれば次々と読み込んでくれる半自動スキャナーもあったんですが、今回のアルバムは昭和51年に島を襲った沖永良部台風のときにだいぶ濡れたとのことで、かなり傷んでいます。
ちなみに、島で他の人にもアルバムを持っているか聞いたところ、「もともと持っていたけど台風でダメになってしまった」というのはよく聞く話。まぁ、島の8割が半壊または全壊させた台風で、母の実家もガラス窓が割れ、祖母祖父叔母と3人で這い出て近所のコンクリート製のお家に避難させてもらったと聞いていますから、アルバムの前に命が危うい状況だったんでしょう。なお、本土ではないので「日本上陸」にカウントされていないのですが、「日本接近」と見れば、沖永良部台風の最低気圧は観測史上最低気圧の907.3hPa。1名お亡くなりになってしまったんですが、それでもたったの1名に留めた沖永良部島はすごいことだし、実は来年で沖永良部台風から50年の節目なので、「台風博物館」とかつくったら面白そうだと思っています。博物館じゃないけど、何かしたい。
脱線した。本題に戻ります。

そんなわけで、台風と経年劣化で傷んでしまったアルバムから、写真を無理に取り出せそうにもなかったので、挟むタイプのスキャナーを使いました。初めて使うのでうまくいったりいかなかったりでしたが、そこは向きを変えたりしてなんとかなった。ただ、金属製のリング付きのアルバムを押し当てると当然ガラスが傷つくので(というか、ついた)、今後作業が増えるなら工夫を考えたいところです。今調べてみたら、非破壊というか、非接触タイプのスキャナーがあるみたい。2万円かぁ。今後の展開次第だな。

そんなスキャンした画像データから、一枚一枚トリミング(切り抜き)作業をしていきます。

切り抜いて、回転して、水平になるよう角度を変えて。ここはふつうにWindows11に入っている写真アプリでできました。そのあとが本番のAI彩色。彩色用のAIさんはいろいろある様ですが、とにかく無料で済ませるなら済ませたい私。AIエージェントに聞くと、「へっ、無料でできらぁ!」と江戸っ子みたいなことを言うもんだから(言ってないしそういう口調にさせてもいない)、全幅の信頼を寄せて頼んだらひどいことになりました。もう消してしまったのでお見せできないのが残念ですが、とにかく真っ赤っ赤。
ここで見切りを付ければよかったのですが、UI(やりとり)が日本語というのは厄介ですね。妙に信じてしまうというか、ラクしたいから「次こそは」と期待したくなる。ある意味、ギャンブルと同じ心理状態だと思います。できらぁ!→ダメダメ→できらぁ!→ダメダメを繰り返し、2時間を過ぎたあたりで諦めて課金。すぐできました。やっぱり世の中金でした。ここで課金するか否かの判断がAI時代で大切ですね。あ~やだやだ。

さっきの写真が、こうなった。後にのりおさんに見せたところ、なんと後ろにある建物は和泊町役場とのこと。もちろん屋根の色がAI判断なので実際に赤色だったかは分からないのですが、そうなんだと。町誌によると、役場は、和泊小学校の校舎を利用する形で1959年に移転したとのことなので、このときはまだ小学校だったかもしれません。だから子どもが多いのかな。あー、ということは、ここはまさに現在の和泊町役場の町庭ということか…たぶん。なお、右端の原付に跨っている男性がお父さんとのことでした。
それにしても、色付けすると一気にリアリティが増しますね。写っているもの自体は変わらないのに、ふしぎと奥行きを感じます。あと、色が付くことによって被写体以外にも目が行く。白黒写真で見たときに、後ろの建物が何かって気にならなかったですもん。
なお、Google AIのAPIを使ったので彩色技術もGeminiと同等で、一度指示すれば一括でやってくれるのは、いちいち手を動かさないといけないチャット型AIと違ってラクですね。ただ、Google AIの画像生成のAPIは湯水のようにお金を使うらしく、ほんの2時間程度で1,000円弱までいって、けっこうびっくりしました。勉強代としてはお安い方だけど、次からは有償の仕事という前提でないと使えないですね。うーん、ほかに安上がりな方法はあるのかな。このレベルの彩色のローカルAI化って実現できるのだろうか。
ただ、AIに色付けさせると、やはり要らんことをかまします。人の顔に整形手術を施すというおせっかいはもちろんのこと(ドラえもんで「きこりの泉」に落ちたジャイアンがきれいなジャイアンになる、ほんとあんな感じ)、民家の壁に掲げられている絵が変わっていたりしました。面白かったのは、持ち主ののりおさんに、とある民家で撮られた家族写真を見せていたら、私が右端にウォーターサーバーを発見して「当時からあったんですね~」と言って、オリジナルの白黒写真を見たら何もなかったことです。嘘すぎる。

ウォーターサーバーとか、絶妙にあるかないか悩むものを勝手に置かないでほしいですね。気付けん。そういうわけで、何事もAIに頼んだら安心ということはまず以てなく、やはり人の目は重要だなと再認識。今後は人以上に目を光らせてくれるのかもしれませんが。Mythosとかだったら余裕っぽいよね。セキュリティのクラッキングとかでなく、そういう平和利用ならいいんだけどなー。
結論から言えば、めちゃくちゃ感激していただけました。

まずはスキャンした白黒写真を見せて、次にAIで彩色した写真を見せて…という流れで紹介したんですが、そもそも初めて見るような写真もあった様子でした。そこで気づいたのが、アルバムを持っていてもそれなりのでかさで、これまでにもなかなか取り出してみる機会はなかったのだろうと。確かに、アルバムってそういうもんですよね。なので、もともと知っている写真を彩色するというより、彩色して改めて注目するという効果があるのかも。言ってみれば再発見効果です(そんな効果名はないと思うが)。
のりおさんの実家は「比嘉時計店」という、和泊町役場から少し下ったところにある店だったそうで、店舗の初代・2代目・3代目とアルバムに残っていました。個人所有の写真は、得てして家族写真が多いのですが、お店をやっていた方は建て替えのタイミングなどで撮られていそうですね。そして、今でも建物自体はあるそうで、当時の写真と今の様子の変わったところと変わらないところを見つけて、嬉しそうにしてくれていました。閉業後に危ないからと建物を一度立て壊す話が出たときに、今はなきお母さんが反対したそうで、それを思い出したのりおさんが「母ちゃんが店を残そうとした理由が分かった」と言われていたことが印象的でした。
細かいところで、AIが彩色以上のことをしてしまっている部分はあるのですが、ひとまず白黒写真と彩色後の写真をお見せします。実際には65枚ほどの写真を彩色したのですが、これらはほんの一部です。






全体的にお父さんの写真が多くて、とても体格がよく、島の相撲大会の優勝するほどの強い方だったそうです。後に本土から関取を呼んでの巡業も取り仕切ったそうで、黒いまわしをつけた当時の関取たちの写真も残っていました。お店に居合わせたのりおさんの友人は、「(子どもの頃の)俺もこの場所にいた」と話されていたので、大きなイベントなら写真が多く残っているかもしれません。
のりおさんの話でとくに面白かったのが、会場となっていた高千穂神社の松の木についてです。島ではマツクイムシの被害によって松は一度枯れてなくなってしまっています。のりおさんは、子どもの頃にそんな松を見て育ちました。そんな、かつて島にあった松の姿が写真の中にはまだ健在で、まるで戦国時代の武将が飛び出してくるような立派な松の木だと喜んでいました。


また、アルバムには、えらぶの様子だけでなく、喜界島も写っていました。


左の女性は、のりおさんのお母さんです。
当時、農協に勤められていたそうで、喜界町農協の前で撮られた写真もありました。奄美群島だと、互いの島に互いの写真が残っていることもあると思うと、こうして個人のアルバムに目を向ける意義を強く感じます。そんなお母さんとおそらく同僚の方々が喜界島の百之台という台地で撮った写真を見て、カウンター越しの奥さんと「今度ここに行こう」と話していました。

今回の展開をまとめると、「知人が親から受け継いだアルバムをAIでカラー化したら、感激してもらえ、本人に行きたいところができた」という話になります。そこで改めて思ったのは、過去を知れば未来につながるなぁと。沖永良部島は、群島の他の島々に比べても、文化や行事があまり残っていない印象で、移り変わりの早い島だと思います。
「働き島」だという声もあるあたり、ある意味生き抜くために合理的な選択を繰り返してきたのではないか。14~15世紀に島を治めたとされる世之主が、沖縄島から中山王国が攻めてきたときに自害したというエピソードや、時代が下って薩摩藩が攻めてきたときに抗わなかったというエピソードからも、とにかく生き残ることに特化した人達だと思わされます。それは強みでもあり魅力でもありますが、だからこそ今、過去にもっと目を向けてもいいのではと個人的に思うところです。
それを視覚的に教えてくれるのが写真であり、今はAIを使って彩色するほか、動画にもできますし、すでに書いた再発見効果とやらにつながると思う。それは、アイデンティティの強化につながり、生きる力に変わると思います。
のりおさんとは最近知り合ったばかりなんですが、大切な写真アルバムを、AIで彩色するという行為を通して、かなりディープな記憶に潜って話を聞くことができました。今はもういない親も含めた、過去の記憶が宿った写真には、それだけ人をつなぐ力があるのだと思います。のりおさんからも「すごい。これ(白黒写真の再生)はとんでもないこと。感激して涙を流す人もいるから、ぜひ広げてほしい。何なら俺をモデルにしていい」と言っていただいたので、こうしてお言葉に甘えて今回記事で登場してもらいました。
6月からの東京暮らしは、沖永良部島ルーツの人達とのつながりをつくることが目的のひとつですが、それにあたって、芳賀日出男さんの写真展の一件で「写真は世代を超えて人をつなげる媒介」だと確信がありました。さらに、今回ののりおさんの写真にふれさせてもらったことをきっかけに、記録を再生して記憶に留めるということを仕事にできる可能性が見えてきたと感じています。やっぱり、仕事としてできないと、継続できないですからね。とても大切です。
とくに昨今、AIによってフェイク情報で氾濫していくからこそ、AIをもってかつての確かな記憶を整理整頓していきたいなと強く思ったのでした。島を出るまでにもう2~3家族、やってみたいと思っています。親から引き継いだアルバムの扱いに迷っているという方は、私がいるうちにお声がけください。それでは。このへんでまた次回。
