ホーチミン9区にある鳥居、多分ベトナムで唯一じゃないでしょうか(日系企業が屋上にでも設置していない限り)。でもその先には洗濯物があったり…一体……なんと、調べてみたら神社でもなんでもなかった!
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2014/12/19
ホーチミン9区にある鳥居、多分ベトナムで唯一じゃないでしょうか(日系企業が屋上にでも設置していない限り)。でもその先には洗濯物があったり…一体……なんと、調べてみたら神社でもなんでもなかった!
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2014/12/19
鳥居っていいですよね!
鳥居は誕生した時期は四世紀頃だと言われ、不死を司る鳳凰が通り道という意味だったそうです嘘です。
現在の形が確立したのは八世紀頃みたいですね。
八世紀ってパッと見ると八代亜紀に見えるな、ほんとどうでもいいな。
鳥居がある場所といえば神社ですが、神社がある国といえばもちろん日本です。
しかし、太平洋戦争などの背景もあって、世界各地には神社の存在が確認されています。
ハワイ、パラオ、特に台湾が多いようですね。
こんなマニアックなまとめ記事も見つかりました。
ある日のこと、同じ在住者の友人によって「鳥居を見た」という投稿が写真と共にfacebookに公開。
ここではまだ見せませんが、確かに鳥居…しかし、ベトナムに神社があるなんて聞いたことがない。
日本は、太平洋戦争の末期に半年間に渡ってベトナムを統治していた時代があります。
もしかしたらその鳥居は当時の忘れ形見かもしれない、だとするとなんというロマンのある話でしょうか。
行かない理由があるだろうか、いや無い。
目的地は中心地からバイクで40分、ふらっと行くには本当に微妙な距離。
ちなみにもうあと15分くらい頑張って走ればスイティエン公園に着いてしまいます、意外に近い。
一見して目前は開けているように見えますが…。
振り返るとこの通り!お坊さんが写り込んでいるだけによりカオス感がありますね。
ここが事前に聞き付けた通りです。
なんと名前は、
EINSTEIN(アインシュタイン)通り。
ベトナムの通り名の多くに歴史上の人物の名前が付けられることは、在住者にとっても有名な話。
それでは何故ベトナムとアインシュタインなのか…ですが、これといって情報は見つかりません。
ベトナム語のWikipediaでアインシュタインの項目にも特にベトナムという単語は出てこない。
だって偉人なんだもん、という単純かつ明快な理由で良さそうでしょう。
ちなみに近隣にはALEXANDRE DE RHODES(アレクサンドル・ドゥ・ロード)通りもありました。
こちらは、現在のベトナム語をつくったフランス人カトリック宣教師。
さて、鳥居を探しに来たんだった。ちょっと奥まってるかもしれないしな、見落とさないように慎重に慎重に…。
なんて言ってる間もなく見つかった。
本当だ!どこからどう見ても鳥居だ!
たまたまこんなデザインになりましたとか言ったら、八百万の神から八百万回つっこまれるわ。
通常神社の名前が書かれているところ(額束(がくづか)と呼ぶそうです)は何もありません。
最初から無かったのか、それとも途中で外したのか、謎が謎を呼ぶばかり。
違いを挙げてみましょう。
日本の鳥居にはよく「千社札」という札が参拝者によって貼られていますが、
ベトナムの鳥居には広告ビラが貼られています。
日本の鳥居の向こうには神社があり俗世と神域の境界を意味しますが、
ベトナムの鳥居の向こうには洗濯物が干されていて民家の敷地を意味します。
突き進んでいくと、
さらに洗濯物が干されていていました。
奥から見た鳥居。
そして…
日本の鳥居にはお賽銭箱がありますが、
ここには無いようなのでヘルメットで代用して、
参拝!
ベトナムの喧騒の中にも…
厳かな空気が流れ…って、
ぶーん
ネルソン「うえっ!蝿多っ!」
ベトナムの鳥居にお賽銭箱はありませんが、
生ゴミの入ったゴミ箱ならあります。
撮影中も、近所のおばちゃんが鳥居の足元にせっせと生ゴミを運んでいました。
さーそれでは、近所のカフェで鳥居の正体について聞き込みしてみよう!
友人 「あそこってもともと神社だったの?」
おばちゃん「は?神社?」
友人 「お寺みたいな…」
おばちゃん「は?お寺?何処にお寺があるの??」
どういうことだ…。
おっちゃん「あんた方…もしかしてあの『トリイ』のことを言ってるのかね?」
ネルソン 「なんか生き字引きっぽい人が現れた!」
以下、おっちゃんとのやり取り。友人の通訳を挟んでいます。
ネルソン 「おばちゃんが神社って言っても分かんなかったんだけど何でさ」
おっちゃん「しょうがあるめぇよ。だってそもそもアレ、神社じゃないもん」
ネルソン 「は?」
おっちゃん「おう」
ネルソン 「だって鳥居でしょ?」
おっちゃん「鳥居だよ。でも神社じゃない」
ネルソン 「だったらアレは何だっていう」
おっちゃん「別荘の跡地」
ネルソン 「んーーーーーーーーー???」
おっちゃんによると、こういう話らしい。
まだベトナムが南北で違う国だった時代に、南は優秀な人を積極的に海外へ送り込んだ。
そうやって経験を積んで戻ってきた人に当時の大統領は土地を与えた、それがこの一帯。
彼らは思い思いの別荘や自宅を建て、自分が経験を積んだ国の特色を盛り込んだ。つまり、この鳥居は、日本で経験を積んで戻って来た人によって建てられた…ただの『日本趣味全開の別荘の跡地』ということだ!
しかしベトナム戦争の終結と同時に、北からの接収や弾圧を恐れて土地の持ち主たちは海外へ。
そもそもそれぞれに縁を持つ国があるのだから、当時の状況を考えれば最優先で行ける人達だ。
ネルソン 「確かに神社じゃねーわ!」
おっちゃん「でしょ!」
ネルソン 「じゃ、今この周辺に住んでいる人は…」
おっちゃん「ほとんど、75年以降にあとから来た人だよ。誰も当時のことは知らないね」
ネルソン 「鳥居の向こう側に住んでいる人は…」
おっちゃん「勝手に住んでるね」
何たる…何たること……神社でも何でもない、40年以上前のお金持ちの趣味だったとは。
もしかしたら、今この世にある遺跡や考古学分野での出土品も元を辿ればそういうものなのかもしれない。
おっちゃん「確か、当時、警備員をしていた人間が9区に住んでいたっけな…」
ネルソン 「あ、ありがとう」
おっちゃん「では」
ネルソン 「あっ、ちょっと待っ…」
ブロロロ~!
いや待て、
じゃあ、あんたは何者なんだよ。
神社だろうなと思って取材に行ったので、今回の結末は本当に予想だにしないものでした。
何を対象にしても、ベトナムの歴史を探っていくと必ず過去の大きな変局にぶつかります。