尺八と琴、よくよく考えたらこのどちらも生の音色を聴いたことがありません。ベトナムという外国に来たからこそ触れられるというのは、なんともおもしろい話です。矢野司空さんと浦沢さつきさんのインタビュー。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2015/01/01
尺八と琴、よくよく考えたらこのどちらも生の音色を聴いたことがありません。ベトナムという外国に来たからこそ触れられるというのは、なんともおもしろい話です。矢野司空さんと浦沢さつきさんのインタビュー。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2015/01/01
尺八っていいですよね!
癪に障るという言葉がありますが、語源は「尺八に触れられたくない」だそうです嘘です。
尺八、日本の伝統的な木管楽器。
中国の唐を起源の地とし、虚無僧が吹いている光景が思い浮かべられます。
日本でもなかなかお目に掛かることの出来ないものですが、このようなニュースを発見。
尺八と琴のライブを開催―「SHAKUHACHI AND KOTO」、ホーチミン市で12月19日
見てみたら尺八奏者の矢野司空さんは住職でもあるということらしい。
へー、ほー、と思っていたら、よく知っているある人から連絡を受けた。
矢野さん「うちの親父が尺八でライブをするんだけど、来てくれない?」
えっ、矢野さん?
司空さんって、ロッククライミングマスターの矢野さんのお父さん??
張り付け!そして乗り越えろ!己との戦い、ホーチミンでロッククライミング!
矢野さん「ロッククライミングね、最近は飽きちゃったけど」
という訳で、ライブに行って来たのであります。
その時の他の写真は記事の合間に挟むとしてー。
今回は、ライブ翌日に行った、司空さんと琴奏者の浦沢さんへのインタビューをお送りします。
尺八奏者の、矢野司空さん。
琴奏者の、浦沢さつきさん。
目次
司空さん「実は、ベトナムで演奏することはこれで二度目なんだよね」
ネルソン「え!そうなんですか」
司空さん「25年前、ホーチミン市国家大学や教会なんかで」
ネルソン「その時と今回の違いは?」
司空さん「当時は観客のほとんどがベトナム人だったねぇ、大学いっぱいに200人くらいいた」
ネルソン「今回は日本人の方がほとんどでしたね、あと欧米の方もちょっと」
司空さん「そうだね、息子の縁で来たからね。当時はこんなに日本人もいなかったし、街も変わったよ」
ネルソン「ベトナムに限らず、海外での公演はよくされていると聞きました」
司空さん「30年以上前から、ヨーロッパを中心に毎年やっていますね」
ネルソン「思い立って海外公演!とならないと思うのですが、一体どういう縁でそのような活動をされているのでしょうか?」
司空さん「ほとんどは、友人や知り合いのつながりだね」
ネルソン「最初のきっかけは?」
司空さん「お寺の近くに常滑市という焼き物が有名な市があって、『国際やきものホームステイ』という事業でその常滑焼を外国人に教えるというものがあったん ですよ。そこに参加した一人のブラジル人をホームステイ先としてうちが受け入れたのだけど、彼はイギリスでジャズ・ミュージシャンとして活動していたこと があって、日本に大きなウッドベースを持ってきたんだよね。滞在期間に尺八とウッドベースでセッションをしたりと仲良くなって、翌年イギリスに招待されて 行ったのです。最初のきっかけというと彼だったということになる」
演奏の合間に、尺八について英語で説明する司空さん。
司空さん「高校二年生の時に、音楽として尺八をやっている同級生がいたんだよ」
ネルソン「高校!」
司空さん「はい。それで私が試してみたら、たまたま最初から吹けてね」
ネルソン「珍しいことだったんですよね」
司空さん「そう。最初から音の出る人はほとんどいない。それで、やってみようかということになった」
ネルソン「かなり若い頃から始められていますよね、そうなると、もう…」
司空さん「もう50年になりますね」
ネルソン「尺八は虚無僧のイメージがあって、そこで住職であられると聞いていたので、てっきり仏教があっての尺八なのだと思っていました。お寺と関係なく、まず尺八があったんですね」
司空さん「寺は、私の代からだからね」
ネルソン「そうだったんですか!お寺って、先祖代々…とばかり考えていました」
ネルソン「それでは一体どのようなきっかけで、住職に?」
司空さん「70年安保闘争の時にフーテンをやっていたんだよ」
ネルソン「フーテン?アメリカのヒッピーのようなものでしょうか」
司 空さん「そんなところ。仲間たちが、シンナーとかマリファナとか吸って死んだりしてさ。それで何やってんだーと思って自殺しようかとも考えていたんだけ ど、そんな時に種田山頭火の自由律俳句を知った。5・7・5の定型じゃないんだよね、自由だなと思って。その彼は俳句を詠みながら全国を回っていたんだけ ど、それなら自分も尺八を吹いて托鉢をして回ろうと思ったんだ」
ネルソン「托鉢…地元の駅に虚無僧姿で尺八を吹いている人を見たことがあります」
司空さん「駅でずっと同じ場所に留まってお経を読んでいる人は違うね。本当の托鉢はずっと歩いて各家庭を回り、玄関の前でお経をあげるんだけど、私の場合は代わりに尺八を吹き供養とさせていただいていた」
ネルソン「その托鉢をどれくらいやられていたんですか?」
司空さん「3ヶ月ほどだね。その途中である念仏会に参加して、一緒に念仏を唱えていたら、最後の日に悟ったんだよ」
ネルソン「悟った」
司空さん「野垂れ死んでもいいつもりだったんだけど、前向きに生きていかなければと。それから東京で結婚してサラリーマン生活を3年間ほどやっていたんだけど、仏教に出会って悟ったのにこうしている自分は何だか自分じゃないと思って、出家した」
ネルソン「出家ってやろうと思ってやれるものなんですか?」
司空さん「今は檀家が減っているということもあって、空き寺が増えているんだよね」
ネルソン「住職のいないお寺ということですか?」
司空さん「そうそう、跡継ぎがいないといった理由でね」
ネルソン「それでは、サラリーマンを辞めてからすぐに住職に?」
司空さん「二年半修行した後に資格を取って、当時は空き寺だった愛知県にある谷性寺の住職になった」
ネルソン「もともと高校の頃から尺八をやられてきたということですが、仏道に入ったことでその二つが影響を与え合っているところはありますか?」
司空さん「尺八はもともと、禅の世界でも修行の道具として吹かれていたんだよね」
ネルソン「それは、初めて聞きました」
司 空さん「尺八は奈良時代に中国の唐から渡ってきたものなんだけど、平安時代に入って吹かれなくなり、鎌倉時代になって現在の形の基本になって復活する。当 時の戦国武士の娯楽として吹かれていたのだけど、何せ戦国時代だからそのまま浪人になってお坊さんの格好をして托鉢をする人も多かった。それを宗派として 成り立たせたものが、普化宗」
ネルソン「普化宗…」
司空さん「虚無僧が尺八を吹きながら列になって歩く姿があると思うけど、あれが普化宗」
ネルソン「なるほど」
司空さん「そこでどうして尺八が禅になるかというと、呼吸が似ているんだよね」
ネルソン「呼吸ですか」
司空さん「禅は、何も考えない、無になって思考を止める必要があるけど、そこに数息観という呼吸法がある。1…2…と呼吸を数えることで集中するというもの」
ネルソン「尺八は、そのリズムが…」
司空さん「そう、そのリズムが音に置き換わったものが尺八の音色。尺八は禅を行じる道具でもあったと」
ネルソン「とはいっても普化宗は仏教の宗派で、それが広がっていくということはあったんでしょうか」
司空さん「戒律に厳しい宗派でもなく、他宗とつながりもあったから、広がっていったんじゃないかな」
ネルソン「禅は内向きのもので外からは何も分かりませんが、尺八はその内面が音という形で外からも分かるんですね」
司空さん「そうだね。仏教も最初は自分が救われるためという考え方から、人々が救われるべきだというように変化していった。そう考えると、尺八の役割は大きかった」
浦沢さんから、琴についての説明も行います。
ネルソン「浦沢さんは、いつ頃から琴をやられているのですか?」
浦沢さん「10歳頃に。小さい頃からピアノはやっていたんだけど、ある日突然、親から『今日から琴をやりなさい』って言われたのよね」
ネルソン「ピアノから琴へ?」
浦沢さん「そう。ピアノは場所を取るし、ピアニストになるには留学などでお金が掛かるとかいろいろ事情はあったと思うんだけど、青天の霹靂という感じだった」
ネルソン「ピアノと琴。似ているような、似ていないような…。それでずっと琴を?」
浦沢さん「いや、中学までは行ったり行かなかったり、高校でジャズやロックを聴き出してからは、琴は好きな音楽ではないとますます感じて、ほとんどやらなくなりました」
ネルソン「それから、どうしてまた再開を?」
浦沢さん「希望する大学に入れなくって、時間ができてふっと再び始めるようになった。でも、やっぱりおもしろいとは思えなかった」
ネルソン「ただ、昨夜の演奏では、良い意味で琴というイメージらしくない…激しい音色もありました」
浦沢さん「そう。それは本当に、司空さんとの出会いなの」
ネルソン「出会い」
浦 沢さん「吹いているものは伝統的な尺八なんだけど、伝統的な音色が全てではない。それこそ高校の頃に聴いていたような音楽らしさもあった。それを聴いて、 20代の頃はなんだかおもしろくないと思っていなかった琴が、『これなら出来る!』って感じられるようになったのよね」
ネルソン「海外での活動も、司空さんと出会ってからですか?」
浦沢さん「文化庁からの依頼などで、以前から行くことはあったの。その中に南米移民の人達への公演があってね」
ネルソン「南米移民ということは、かつて日本人だった人ですか」
浦沢さん「そう。そこで琴を演奏すると、観客の90歳の女性が『もう聴けないと思っていた』と泣くんですよね」
ネルソン「そうか、日本人でさえ実際に聴く機会は少ないですもんね…」
浦沢さん「司空さんの音楽に触れたということもあるけど、そこで琴を通じて出来ることがあると分かったのよ」
尺八と琴の演奏の次に、ホーチミン市在住のギタリスト・HIRO SANADAさんとのセッション。
ネルソン「お話、有難うございました。最後に、尺八と琴、これらの伝統音楽を海外に伝える上で、どうしていきたいといった思いはありますか?」
司空さん「そうだねぇ…求められれば何処でも行く、という感じです」
ネルソン「こういう場所に行きたい、などは?」
司空さん「尺八も琴も聴いたことがない人がいるならば、それは行くべき場所だと思っています」
浦沢さん「私は、琴がもっと世界中に認知してもらいたいと思っています」
ネルソン「というと?」
浦沢さん「たとえばギターって、何処へ行ってもギターとして知られているじゃないですか」
ネルソン「確かに…」
浦沢さん「以前にエストニア航空を使ったんですが、琴を載せるために資料を送る必要があるんですよ」
ネルソン「資料!」
浦沢さん「琴が何か分からないから、どれくらいのサイズで、とか…」
ネルソン「なるほど、ギターであればみんな知ってますよね」
浦沢さん「そう。だから私は、琴が知られるためにも活動していきたいと思っています」
ネルソン「今後のご活躍、ご期待しております。有難うございました!」
***
尺八、琴、ギターの音色が、珍しく雨の降るサイゴンの夜を彩りました。
いかがでしたでしょうか。
私自身、まさかベトナムで日本の伝統楽器の演奏を聴けるとは思ってもいませんでした。
インタビュー中でも触れましたが、最初こそ伝統的な音色ではあったものの、時に激しくなる音色は私が知っている尺八と琴のそれではありませんでした。良い意味で、裏切られたと思っております。
司空さんと浦沢さんは、もちろん海外に限らず国内でも活動されています。
ご興味を持たれたら、ご連絡してみてはいかがでしょうか。