ベトナム・ホーチミン市、旧名「サイゴン」。その改名の経緯もあって今でも地元出身者にはサイゴンと呼ぶ人が多い。さてこの街、合計18の区があるのですが、けっこうそれぞれにハッキリと特徴あり!今回は日本人にもゆかりの深いところを中心に、独断と偏見まみれで各区を紹介します。その前編です。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2019/05/29
ベトナム・ホーチミン市、旧名「サイゴン」。その改名の経緯もあって今でも地元出身者にはサイゴンと呼ぶ人が多い。さてこの街、合計18の区があるのですが、けっこうそれぞれにハッキリと特徴あり!今回は日本人にもゆかりの深いところを中心に、独断と偏見まみれで各区を紹介します。その前編です。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2019/05/29
区っていいですよね!
区という漢字の中にはカタカナで「メ」が入っていますが、それとは関係なく、江戸時代に区画のことを「1の目」「2の目」と呼んでいたそうです嘘です。
目次
わたくし6年ちょいホーチミン市に住んでいたのですが、移住当初に驚かされたひとつが「エリアが数字~!」ということです。なんとなく、ネオトーキョーだとか、近未来SFの世界観をイメージしましたね。
慣れちゃうとなーんも思わなくなりますが、日本だとナンバリングされた区も町もないじゃないですか。と思ったらふつうに一丁目二丁目って言うじゃんか~い!!と、今私の中のファクトチェッカーが赤サイレンを鳴らしはじめておりますが、だとしても~!「市の」次にくるくくりが数字だけというのは日本人的な感性で言えば違和感を抱きますよね。そう思ってね、じゃないと話が進まないからね。
で、それでいて数字だけかと思いきや、ビンタン区とかフーニャン区とか言ってきます。なんだフーニャンって。最初聞いたとき「きゃあ、カワイイ!!」って思ったわ。ゼッタイNHK教育に出てくるアニメキャラクターを連想しただろ、そのときの俺。でもそれはきっと(ポコニャン)。
という訳で、どういう訳で?今回はそんなホーチミン市の各区を、日本人目線で(って日本人だからそうなるのはしょうがないんだけど)ざらっと紹介したいと思います。
実は私、6年の間で8回も居を変えた引っ越し魔。そうなんです、常に借金取りに追われておりましておよよよよ…ってそれマジだったらブログやる訳ねぇだろドアホがって話ですがね。ベトナムの引っ越しシステムでは、日本と違って礼金もなければ、家具も最初から付いてくるパターンが多いので、気軽に引っ越せたんです。ま、そんなこと言いながら、1区とビンタン(Binh Thanh)区と8区の計3つしか住んでないんですけども。並べるとやっぱり8が浮いてるなぁ。在住者には分かるだろけど。
ではいきますぞ~!
ちなみに1から順よくではなく、日本人にとって身近だと思う順序でいきますね。
↓後半書きました
ベトナム・ホーチミン市全区を独断と偏見で解説するよ:後編(2区5区6区7区8区フーニャン区・ほか)
まずは1区、伊達にファーストナンバーを持っていない。名実ともにセンター・オブ・サイゴンです。
ホーチミン市中央郵便局に、
サイゴン大聖堂!
なんと言っても「市内の主要観光スポットはすべてここ!」といってもいいほどの中心地っぷり。というより、正確には「主要な観光スポットはドンコイ通り!」と言っても良いのですが。統一会堂、サイゴン大聖堂、ホーチミン市中央郵便局、オペラハウス、などのレギュラーメンバーが勢揃い。下手すっと半径500メートル内に集約されているので、ベトナム旅行者にはドンコイ通りだけで済ませてあとはショッピングとカフェだけという人もいるそうです。カ~ッ、ペッッ!!…おっと、なんでもござらんよ。
ドンコイ通りにあるおしゃれカフェの急先鋒『L’USINE』。古くなった雑居ビルを内観だけ新しくリノベーション、というスタイルを広めた立役者かつパイオニアではないでしょうか。ごはんがおいしい。
これらの観光地に加えるとしたら、あとは5・6区に渡るチョロン(中華街)、そしてせいぜい3区のピンクの教会ことタンディン教会くらいでしょう。よく考えたらどっちも女子ウケ要素があるから、最近だとドンコイ通りだけで収まる人も減ってるのかもしれないな。いい傾向じゃWAHHAHHA(えらそう)!
そして、昨年7月にビンタン(Binh Thanh)区の『ランドマーク81』にお株を奪われてしまいましたが、最近までベトナムNo.1の高層ビルはこの『ビテクスコ・フィナンシャルタワー』でした。…なんて思ってたんですけど、私がやってきた2011年10月にはすでにハノイの『ランドマーク72』に越されてますね。不勉強、切腹!しません!ま、それまでは最高層だったんですわ。
そういったところからも、伝統的な観光スポットだけでなく、「なにかええ感じのものをつくるならひとまず1区で」みたいなところはあります。ホーチミン市はベトナム経済の中心であり、1区はホーチミン市経済の中心なんですね。銀行などが集まる金融街もここにあるしね(南側のサイゴン川沿い)。
上記ビルそばのグエンフエ(Nguyen Hue)通りは「サイゴンの渋谷」とも呼ばれる盛り場であり、
カウントダウンなどの野外フェスもここで開催されます。
最近はサッカーのベトナム代表が快進撃をつづけることが多く、非公式祝勝パレードもこのへんが中心。
日本人街としても知られるレタントン通りも、この1区。もともとここは海軍が所有していた土地だということを考えると、ますます中心地なんだっつーの!ということが伺えますね。そもそも、ホーチミン市の旧名のサイゴンだった当時の古地図を見ると、1878年(きっとそのあとしばらくも)は1区以外はなーんもない原っぱだか湿地帯だかと言えるのだから、中心地であるとともに「サイゴンはじまりの地」と言えるのです。忘れてたけど、そもそもホーチミン市人民委員会(市庁舎みたいなもの)はここだしね。
当然、地価は高いようで、したがって家賃も高い。ただしレタントン(Le Thanh ton)通りの南東にあるヘム(路地裏)と、グエンティミンカイ(Nguyen Thi Minh Khai)通りを挟むようにしてあるエリアは、ふしぎと安めになっています。ピンきりですが1部屋で300ドルからとか。探せば200ドルなんてものある。とくに前者では幅広く日本食が食べられ、また日本人向けというか日本人慣れしているアパートも多いため、市内最大規模ともいえる日本人コミュニティが形成されています。日本語がよく聞こえる。
ただ、バイクに乗ったり、あるいはGrab(バイク配車アプリ)を使いこなせて行動範囲が広がってきたあたりで、さらなる好条件の部屋を求めて1区を離れる人は多いです。仕事内容によってはそもそも「仕事以外で日本人(知人)に会いたくない」という人もいらっしゃいますけどね。まさしく私はレタントン通りにいるとまことしやかにTwitterやネット掲示板に書かれる時期があったので、以降なるべく近づかなくなりました。行ってもないのに見かけたと書かれた日には恐怖を覚えたよ、勝手に影武者つくんなよ!
高島屋もありまっせ。
いきなり何だって話ですが、3区は…説明しづらい…!
なんというか、個人的には「市内において中心地の割に印象が薄い」です。観光スポットとしてはいちおう先述のピンクの教会ことタンディン教会はあるけれど、在住者からすると関係薄め。その向かいには市内でも大規模の服飾市場であるタンディン市場があるのですが、実はここ1区なんですよね!ビックリ!告白するとこれを書く今の今までセットで3区だと思っていたんですが、ハイバーチュン(Hai Ba Trung)通りで分けられているため別々なんですよ。でもいっそのことここで紹介しちゃう。
タンディン市場、あらゆる布や裁縫関係のものが手に入るので手芸などが趣味な方にとっては馴染みのある場所だと思います。正確にはこっちだけがタンディン(Tan Dinh)エリアに属しているので、教会ができた頃はもう少し南西側にエリアが広がっていたのではないかと勝手に想像しています。
で、3区全体についての話。おいしいローカル店(ベトナム料理店)から外国料理に至るまで、ひと通りそこそこ揃っているので過ごしやすさはピカイチ。その割に1区よりも確実に家賃が安いので、レタントン通りのあとで選ばれる安住の地として3区に移り住む人が多い印象を受けます。なんなら、そのまま何年も住み着く人も多いです(考えたら8回も引っ越ししている私の方が異常なのかもしれませんが)。
あとは、3区といえば北側にある運河かな(と言いつつ写真は1区の運河)。1区も北側を取り囲むように運河があるのですが、おそらく3区の場合はその川向うも同じく3区、つまり区を突っ切っているので、印象が強いのでしょう。というか、みんな運河運河言ってるけど物を運んでいる様子を見たことがない。違ったらごめん。ここは5~6年くらい前まで道を通るとほんと川が臭かったんですが、最近はかなり抑えられてきており、沿うように建つローカル団地にも住む日本人が増えていると聞いています。
中心地から空港へ向かうとここを通りがち、それもあり3区を意識しない人はいないでしょう。
そしてビンタン(Binh Thanh)区。1区のすぐ東側という好立地(地図をご覧の通り、奥に行けば広いんだけど)。私が2011年にやってきて、間もなくレタントン通りから引っ越した先がこの区です。たまたまとある方からシェアハウスを紹介されたことがきっかけでした。当時は日本人もほとんどいなかったのですが、「実は便利だぞ」という評価が徐々に広まって、そのうちファンビッチャン(Pham Viet Chanh)通りには日本食店が増え、レタントン通りに次ぐ小さな日本人街になりました(参考)。
一枚目はU.Iさんという方からのいただきもので、日本人経営の日本食店です。すぐ上、つまり二枚目の写真は昔そのへんで撮ったベトナム人経営の寿司屋。今グルメサイトを見たら一年半前を最後に書き込みがないので、もうないかもしれない。当時、この道の日本食店はこのお店がはじめだったと記憶してるけど、あとから増えて全体のレベルも上がってそうだしなー。
それに呼応するように(たまたまだろうけど)、不動産・小売・娯楽施設などありとあらゆる業態を展開するVinグループの不動産事業を手がける『VinHomes』が、サイゴン川沿いの南東エリアに高層ビル群をドンドコドゴスコスコと開発。今もガッシャンゴッシャンと重機たちが日々働いています。ホーチミン市での不動産投資といったら、もっぱらここに照準が当てられるようです。そして、そのランドマークと言える建造物が、まんま名前が『ランドマーク81』。先述の。下の写真、右端に見えるビルですね。
©Huỳnh Vĩ Nhơn
このエリアに住む日本人も増えていますが、背景には1区とビンタン区の間にファンビッチャン通りがあることも影響していると思います。仕事上がりに軽く一杯!ができますからね。日本人が経営する飲食店が多ければ、一方でベトナム人が経営するリーズナブルな日本食店も増えています。高層ビル、つまりは高級アパートであるがゆえに、上場企業の駐在員をはじめとして、経済的に余裕のある方が住んでいる印象あり。なお下の写真、ヴィンホームズエリアの未来絵図だそうです。いつ見てもマジか。
©RongVietbds
ただし1点、難点が。ここ、さきほどの古地図でも分かるのですが、もともとはな~んもない!湿地帯なのです。それゆえ治水が完全ではないのか、雨季などに豪雨を受けると、あらよっと簡単に冠水します。昔、このへんに住む友人の家へ遊びに行くと約束していたら、そんな豪雨が直撃して、ジャブジャブとひざ上まで浸かりながらインターホンを鳴らしに行ったのは今では良い思い出です。ほかに3人に声を掛けていましたが、結局たどり着いたのは私だけでした。どんだけ遊びたかってん。
4区といえば、なにかと「マフィアが住んでいたところでしょ」と言われます。はい、実際そうらしいですが、そのボスも今は刑務所の中だそうで、4区で治安が悪いことが起こった話をあまり聞いたことがありません。そんな風評被害を除けば、1区の南隣はかなりの好立地。それでいてヴィンパールほど現代的な見た目じゃないものの高層アパートも多いので、最近はここに住む日本人も増えているようです。
1区から4区に入るとよく分かるのですが、街並みにはローカル感が漂います。大きめの朝市が開かれているところも理由としては大きいのかも。歩くところ歩けばそりゃ匂います。生き物は臭いのだ。
個人的に、4区と言えばこの貯水塔。もう使われなくなり、いずれ潰される予定らしいのですが、今もなお放置されたまま。撮った自分が言うのもなんですが、この写真ものすごく気に入ってます。
ベトナム生活に慣れ、また自分で部屋探しをできる人なら、コストパフォーマンスは高いのかもしれません。今はまだ外国料理店が少ない印象ですが、増えていくと思います(もしくは俺が把握していないだけで、もう増えている?)。なにを隠そう、私自身もこの4区に住もうと目論んでいた時期がありました。エージェントから「4区を紹介する」と言われながら、行ったらなんと4区寄りの8区。ま、それでも部屋自体はすごく気に入ったので、最後の地はそこになったんだけど。8区って安いんですよ。
と、実は当初、一本だけですべての区を説明するつもりだったんですが、想像以上に書くことが多かった。郊外に行けば行くほど経験が少ないゆえに情報は薄っぺらになっていきますが、今回はこれくらいにしといたろかぁの池乃めだかの精神でやめておきます。
次回は、フーニャン(Phu Nhuan)区、5区、6区、Go Vap区、7区、8…いや、これやっぱり次でも終わらないかも。でも後半はほぼ言えることはないので、やっぱり一本で収まるかもしれません。どっちやねん!あそーれどっちやねんったらどっちやねーん!!(最後っ屁的なハイテンション)