ベトナム・ホーチミン市、旧名「サイゴン」。その改名の経緯もあって今でも地元出身者にはサイゴンと呼ぶ人が多い。さてこの街、合計18の区があるのですが、けっこうそれぞれにハッキリと特徴あり!今回は日本人にもゆかりの深いところを中心に、独断と偏見まみれで各区を紹介します。その後編です。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2019/05/31
ベトナム・ホーチミン市、旧名「サイゴン」。その改名の経緯もあって今でも地元出身者にはサイゴンと呼ぶ人が多い。さてこの街、合計18の区があるのですが、けっこうそれぞれにハッキリと特徴あり!今回は日本人にもゆかりの深いところを中心に、独断と偏見まみれで各区を紹介します。その後編です。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2019/05/31
7っていいですよね!
ラッキーセブンと言いますが、あれは野球が7ゲーム目に逆転することが多いためそう名付けられたそうです本当です。嘘じゃないよ、マジマジ卍マジェスティックホテルサイゴン(流行れ)。
目次
さてさて、前回は1と3と4とビンタン区!をご紹介してきた訳ですが、残りをパパーッといっちゃいますよ!?と書いたところで、「あといくつあると思ってんだコンノクソガキャア!!」と言われることは承知しております。ホーチミンポリス現れる。ってそれじゃただのK安だ。だって市内には合計18、つまり残りと言ってもあと14もあるから。ナマ言ってますごめんなさい。
しかしご安心ください、なぜなら後半になるにつれて情報は減っていくからです。えっ?安心というより??不安だぁ~???いやいやだって知らねぇもん、とくにThu Duc区と11区あたり。知らねぇもん(二回目)。お住まいの人にはほんと、ほんと申し訳ないけどね。行ったことはあるっちゃあるよ。
ではでは~!独断と偏見まみれのホーチミン市各区解説を再開~!
まずどの区から話そうかと悩むところですが、7区にします。おそらく在住日本人の数から言っても前編の次にふさわしい…いや、なんなら1区と並んでもおかしくないかもしれませんね。なぜならここ、駐在員の家族が住む街としては定番中の定番だからです。
いきなりですが日本のすごいところってインフラだと思ってます。とくに道路がすごい。東京から田舎に至るまで、ピシーっと舗装されてるじゃないですか?トラクターが走っていても!それがベトナムだと、大都会ホーチミンシティの1区でさえも、ときどき地割れみたいな状態になっていたりもする訳ですよ。上の写真は後述する8区の道端なんですが、こうして舗装が抉れている(これでもかなりマシな方)。
が、そーれーがー!
7区だと!ピシッとしてるんですよね~。ぜんぶじゃないですけどね~。
その点で、センター・オブ・サイゴンの1区と言えど、7区に入った途端にもはや時代が10年くらい進んだような感覚を覚えるかと思います。ま、確かに、昔からある街が変わっていくより、ゼロから新しくつくった街の方が、変化が見て取れるのは言わずもがなですよね。
それに外資系もふくめたスーパーやデパートもあり、そうした生活環境の良さ、また治安の良さも手伝って、駐在員の帯同でやってきた配偶者(多くの場合は奥さまのようですが)や、なによりお子さまたちにとって安心安全に過ごせる訳です。日本人学校もここにあるそうですね。むしろあるから家族が多いか。
ちょっと歩けばこんな昔のまんまの場所もありますが。それもよさだと思う。
余談ですが、2012年に1区のボーリング場で日本人の中学生くらいの子たち「だけ」のグループを見たときは衝撃的でしたわ。自分もまだそんなに慣れてない頃に、勝手知ったる感じで遊んでいる彼ら…。さすがに送迎の車くらいはあったと思うのですが(セレブゥー!)、「たくましく育ってんな」と思いました。顔すら覚えてないけど、今頃なにしてんのかな~。もう成人しててもおかしくないもんね。
そしてこの7区、やたらとハングルを見かけます。というのも、区内を開発した企業はほぼ韓国系(と聞いている)。そのため韓国人在住者が多く、韓国料理店も多いそうです。ロッテマートもここにあり、イオンができる前の「ええ感じのデパート」といえばここでしたね。なお、イオンができたあとにはクレセントモールができて、さらにそのあとに高島屋ができるなど、ここ6~7年のデパート戦争は熾烈です。
と思ってたんですけど、公開後に「ホーチミン市南部(フーミーフン(Phu My Hung))を開発したのは台湾系企業」というご指摘が入りました。調べると確かに。韓国人が多いので完全にそう思ってた…というか、そういう話を在住者同士で何度もしてた。今、ベトナム人の友人に聞いたら「ベトナムじゃなかったの!?」と驚かれたので、この認識は割とカオス…。韓国イメージの場合、ビテクスコ・フィナンシャルタワーの建設が韓国系のヒュンダイ建設ということも影響してそう。訂正してお詫びします。
いずれにしろ、7区がコリアンタウンの様相を呈していることには違いありません。
7区の韓国料理屋の写真がなかったので、本場で食べた韓国料理をご覧ください。マジうまかった。
前編では「レタントン通り」が日本人街だと書きましたが、そっちはひとつの通り(&路地裏街)に対して、韓国人街は7区全体ということもあって、規模感では圧倒的に違います。そんな、巨大コリアンタウンかつ駐在員ファミリー御用達の7区ですが、後者については近年その流れが変わってきました。
7区から2区へ。高層アパートがにょきにょきと生えている、という意味では見た目にも似ている街と言えるでしょう。個人的な印象としては、7区が開発されまくった結果、そのパワーが2区へ流れた、というイメージです。もともとはサイゴン川によって分断されていたため貧しい地域とされてきたとか。
私が移住した当初の2011年時点でさえも、ビテクスコ・フィナンシャルタワーの展望台から2区を眺めたときの印象は「森がある!」という感じでしたから。腐海を見つけてはしゃぐナウシカのように、です(だから?)。正確には「湿地帯がある!」なんでしょうけど。そして、1区から2区へつづくトンネルが同年11月に開通してからその発展ぶりはますます激化。さらに高層ビルのエリアは拡大していき、その勢いは今も衰えることはありません。また、場所によっては7区よりも1区などの中心地に近くなることから、2区へ移り住む、あるいは最初から7区ではなく2区を選ぶ家族が増えたように思います。
そしておもしろい現象が…。7区でいうところのコリアンタウンのような色が付いていなかったからなのでしょうか、タオディエン(Thao Dien)通り、もっと言えばそれもふくめたタオディエン区を中心に、オシャレなショップやカフェが続々と生まれていきました。利用客の中心は欧米人というご印象、しかしバックパッカーや酒飲みが集まるブイビエン通りなどとは決して混ざり合わないような人たちです(まったく別々ってことも、あるいはまったく被ってるってこともないと思いますけど)。
ドイツ系の会員制スーパー『Metro』もここにあります。ありました。今は建物はそのままに、タイ系の『Mega Market』というデパートになっているとのこと。引くほどなんでも揃う、いわゆるコストコ的なお店で、こういった大箱施設はまだまだ空き地の多い2区に増えていくのではないかと思われます。たまに行われる野外系のイベントも、会場は2区が多い気がします(行ったことないけど)。
有名フランス料理店。
ベトナム旅行のスタイルもさまざまですが、いわゆる「女子旅」となるとこの2区が中心になっているようですね。オシャレなカフェに行けるし、雑貨も買えるし、フレンチもあればマッサージも受けられると…。ただし、このホーチミン市の年中うだる暑さで、「建物が少ない=日陰がない」というのは熱中対策上で死活問題です。合間合間にカフェに避難するなどして、倒れないように気をつけましょう。
先に断っておきますが、日本人が住むような場所はこのあたりでもう打ち止め。つまり、1・2・3・4・7・ビンタン区ってことになります。ここからは馴染みのない人が一気に増えるかと思いますが、その中でもしいてまだ観光的要素の強い5・6区です。はい、このふたつはあえてひとつにまとめます。
数字で呼ぶよりも、「チョロン」という名前で呼ばれがち。「Cho Lon」、直訳すると「巨大な市場」という意味です。ホーチミン市が旧名のサイゴンだった頃、チョロンはもともと別の隣街としてあり、1930年から1950年までの過程で合併したとか(ベトナム語版Wikipediaより)
「台所」とあって、大荷物を載せた車やバイクの往来が激しい。
その歴史を遡るとなんと17世紀以前になるそうで、当時清王朝に服従しなかった一族の集落がはじまりだったとされています。と思って日本語版Wikipediaを見てみると、18世紀にビエンホア(Bien Hoa)の華人が移り住んだとありますね。たぶんですが読み解く限り、それぞれ別の流れとしてあって合流したのかもしれません。たぶんね。
で、ベトナム統一による社会主義化や中越戦争の緊張などから何度も人が入っては離れていくという状況だったようですが、落ち着いた今は当時の華僑も土着化、つまり華人となってスッカリと地元の人に。最盛期は145万人いたという華人も今は50万人ほどに。とはいえ、いっときは10万人という時期もあったので、これでもかなり回復した模様です。
廃れた時期があったとはいえ1区などの中心地と違って開発の手が入りづらいのか、社会主義国家(ソ連)っぽい、年季の入った建造物もたまに見かけます。実際のところは分かんないですけど。
ずっと前に知り合った華人の女の子は、親から「結婚相手は華人あるいは中国人にしなはれ」と言い聞かされていたそうで、ベトナムにいながらも家系のルーツを保っているのだなーと驚いたことがありました(それを理由に私がフラれたとかそういう話じゃないです)。まぁ、中南米にも日系三世四世の方が多いと聞くので、自分がそうしてきたら子にもそう伝えるのは自然かもしれません。
たとえ同じ市内に住む華人としても、50万人いますからね。これって全国の都道府県の市町村ランキングでも28位の東大阪市と同じくらいですから。よりどりみどり(??)じゃねーか!
チョロンのシンボルといえばこのビンタイ市場ですが、1930年の完成から90年弱が経って老朽化が進み、2016年より改修が図られ、2018年11月に完了。まさに「古き良き中華街」を象徴する建物だったのですが、今でも元の形を維持されているとのこと。まだ行ってないので、写真は改修前の状態です。
中華街といえば、日本なら横浜や神戸、そして長崎に。またタイ・バンコクにもヤワラーと呼ばれる街がありますが、それらに比べるとか~なり中華成分は見えづらいと思います。土着化しすぎて観光に頼らなくていい、という背景もありそう。これを言ったらベトナム人の友人から叱られそうですが、そもそもベトナムも日本人にとっては中国に似た風情がありますので、それだけに違いを感じづらいんじゃないかなと。まぁ、それを差し引いても、明らかに日本の中華街やヤワラーよりも分かりづらいですけどね。
具体的にどういうところで「見えづらい」かというと、世界の中華街にありがちな「せり出した漢字の看板」の少なさがあるのかもしれません(上の写真はまさしくヤワラーです)。これが行政による規制か、あるいはそれ以外の理由があるのかどうかは分かりません。あぁ、でも、ベトナム統一や中越戦争によって何度もごっそりと人が離れていっているので、そのときに何度かの変化があったことは考えられますね。夜逃げでもなければ、本格的に離れるなら看板だって下げるだろうし。
その中で中華街っぽさを感じられるとすれば、ときおり鼻腔を抜ける漢方薬の香りでしょうか(上の写真は漢方薬じゃねぇけど)。あ~これこれ!という感覚を覚えます。こっちを先に知っていたので、台北の漢方薬通りを歩いたときには「中華街(チョロン)みたいだ!」とトンチンカンな感想を抱きました。
プラカゴの大人気店があるので、ピンポイントでここに来る日本人女性客も多い。周辺はローカル感全開なだけに、狭い店内に日本人女性グループがいる状況が毎回ふしぎ。ただ、ついでにブラブラしてみよ~というと、道の歩きにくさは相変わらずだし、そもそも先述のように中華街っぽさは薄いので、期待値は超えないで終わりがちでは。しいて言えば、お寺に行くくらいですかね。あれはいいものですけど。
あぁ、そうだ。それと、食という面では在住日本人からの寵愛を受けています。今でこそ日本から進出してきたチェーン系もふくめて日本食料理店が増えましたが、2011年はまだまだ少なかったですから。そんなときにあらゆる日本食のルーツになっているといえる中華料理は我々の舌にありがたく、ここには日本人御用達の中華料理店が集っています(というより、日本人の方が集まっている)。たとえば、ホーチミン市に暮らす日本人には「大娘水餃」や「東源鶏飯」が有名でしょう。写真は後者の店内です。
そして次が「大清花餃子」のめちゃうまナスの炒めもの。ここに行くといつもこれを勧めて、食べた人はもれなく「うまい」と言っている。責任は持たね~けどな!個人の感想です。あ~、うま!
5・6区からは以上です。
さて、ここからひねり出していかねばなりません…というのは単によく知らないから。
その中で、前編でも「NHK教育番組のマスコットみたいな名前だ」(それはポコにゃん)と書いたフーニャン区を覚えているでしょうか。もうちょっと正確に言えばフーニュァンかもしれませんが、カタカナ表記する時点で不毛な戦いなのでこの話はやめましょう。実はさり気なく1区と隣接しているこのフゥーニュアァン区、それゆえに1区寄りのエリアに住む日本人も一定数いるようです。
ボロが出る前に「知りません」で押し通したいと思うのですが、ここについてなにか言えるとしたらファンシックロン(Phan Xich Long)通りの存在感ですかね。日本語で書いたものの書き切れる訳ねぇよって感じの名前なんですが、ここはなぜかフーニャン区においてやたらと、本当にやたらとこの4~5年で大発展しています。日本人にとっては知る人ぞ知るダークホース的な巨大ストリートです。
今から4年も前に撮った写真だから参考にはしないで。
もともと、なんだったらラブホ街なところもあり、明らかに柄の悪い人がちらほらいるみたいな印象で、立ち飲み屋街(イメージであって立ち飲みではない、プラスチック椅子で飲むのでさしずめプラ飲み)みたいな印象だったんですが、市内でも交通の要所って訳でもないのに幅広に取られた道路のためか、あらゆる飲食店が集まります。この手の道は、かつてすごく大きな建物があったとかなんですが、探っていけばおもしろい話にぶつかりそうです。面倒だから今はやらんけどな。
で、そんな通りには今やスタバやテキサスチキンといったメジャー級チェーン店も。今はもうなくなったみたいですが、大阪王将がベトナム一号店に選んだのもここでした。すぐ行きました。大阪人だから。
地場企業との合弁だったみたいなんですが(今現在どうなってるか知りません、無責任ですみません)、それでも当時一号店をあえてここにつくるところに、「乙な場所におっ建てたのう~!」とひとりではしゃいでました(そのあと店舗をたたんだという…大阪王将自体は市内に健在ですよ)。
あまりにも写真がなかったので、以前フーニャン区で出会ったお兄さんと、干し方がフランス革命の絞首刑みたいなエグい犬のぬいぐるみの写真をどうぞ。ん、ギロチンだっけ?どっちでもええな、今は。
あと、川沿いには明らかにゴージャスな一軒家が立ち並んでいて、芦屋みたいな感じです。すみません、芦屋行ったことない。たまにしか行かないからってだけなんですが、全容がいまいち分からない区です。ただ、なんとなく、税収はすごくありそうな気がしてます。
別にドヤ街って訳じゃないんですけどねー、分かりやすいのでこれで。
実は以前「8区には何があるのか」をテーマにした記事を書いたことがあって、当時本当にまるで足を踏み入れたことがなかったので見に行ったんです。すると、やっぱり、中心地とは雰囲気がぜんぜん違って、どう言葉を選んでも「発展が遅れてるな」と思った。そんな街にまさか自分が住むとは…そうなんです、住みました。最後の住居はここ。写真の場所ではないけれど。
そもそもキレイとは言えない市内の川ですが、8区になるとさらに…という感じです。少しはマシになってると思うけど、離れる直前の一年と少し前はこれと大して変化はなかったですね。
前編でもちょっと触れたんですが、「4区に住みたいな~」と思ってたら、不動産仲介のエージェントのおばちゃんが紹介してきたのが8区の物件。「4区じゃないだろ!」と突っ込みましたが、確かに(?)4区のすぐそばで、なにより部屋の条件が良すぎて結局最後はそこにしました。
余談ですが、それから日本人の友人がふたり、私が介さない偶然もふくめて、そのおばちゃんによって賃貸契約を結んでいたので、クライアントの潜在的ニーズをすくい上げるやり手だったんだなと思います。元気かなー。ベトナム人あるあるに輪をかけて、約束に遅れたりドタキャンするおばちゃんだったけど。
「治安が悪い」と思われがちの8区ですが、1年あまりの生活でこれといって事件はありませんでした。が、ある夜、深夜3時頃ですよ?いきなりドアをノックされて開けたらポリスメンがいて、「パスポートを見せろ」と。見せて事なきを得たんですが、いっとき1区などでポリスメンの押しかけパスポート要求(場合によっては難癖付けてお金をせびる)があったので、それを真似たのかな…と思ってました。
ま、そうでなくても、「8区に住む外国人ってどんなやつ!?」と思って、とりあえず顔を見に来たんだと思います。そう、外国人が珍しい区なんですよ。アパートからしたらいい迷惑。守衛の兄ちゃん、眠そうにしながら、かつ申し訳なさそうにしながら脇にいた。最初強盗かと思ったから、というかポリスメンの制服を見ても「そう見せかけて強盗ちゃうか」と思っていたから、ベトナム生活の中で一番怖かったなー。パスポートを握りしめてドアを開けるべきか否かしばらく考えてたわ。
ただ、そんな「事件はなかった」と書いた8区ですが(説得力ねぇな!)、近所で「ひったくりに失敗した男が被害者のおばちゃんにヘルメットでしばかれている光景」を目撃したので、1区や7区の方が安全なのは確実だと思います。言っちゃ悪いけど、思い返すとおもしろかったな。ひったくりに失敗して、被害者にしばかれて、しかもそれがヘルメットで、っていう…。無事、平穏に解決してたらいいんですが(関わりたくないからすぐ離れた)。それもあって私も、住んでいた8区の入口周辺以外はそれほど探検しておらず(一年以上もいたのに!)、書けることは少ないのです。
って、これ8区のネガキャンしかしてないな…。あ、でも、中心地から離れているだけに、1区の家賃相場から100~200ドルくらい低くなります。移動が苦じゃなく、かつ良い部屋に住みたいならオススメです。だから私もそこに住んでいた訳ですしね。すでに張った地図を見直してもらえれば分かりますが、8区北東にある先端は、1・4・5・7区へすぐ行ける、実は市内随一の区境密集地帯なんです!
こんな角部屋で450ドルだった。太陽光の蓄熱システムなので、雨季のシャワーは冷たい。
部屋からの眺めは常にダイナミックでよかったです。
さて、私がなにか言えるとしたらもうこれくらい。出し切り出し切り干からびております。ヌ、ヌックスイ~!あとの区については1~2度行ったときの思い出話になるので、一気に流しますわ。お住まいだったり、職場があったりする方は、許してくだされ。独断と偏見だってタイトルにも書いてますからね!
スイティエンパークにしか用はないがそれで十分お釣りが来る。あと実は市内最大面積。
空港があるためそこそこ栄えてる。ベトナム人の友人はここの高層アパートを買ったそうです。
空港の東を取り囲むようにある、友人の家があったので何度か行った。500ドン風呂はそこで撮った。
巨大バインミーを買いに一度だけ…。それで巨大フレンチトーストをつくりました。
イオンBinh Tan店のコーナンに行って作務衣を買った。あと8区に行ったつもりがここに来た。
家具屋通りがあってたまに行った。3区の隣なのでしばしば通り道になる。たまに在住日本人がいる。
ギリッギリ、ダムセンパークに一度行ったくらい…。
ベトナム人学生のシェアハウスに取材で行った。
以上です!いかがでしたか?いや~、最後の役立たずっぷりはすごいですね!!
改めて、「ホーチミン市って広いな~」というバカみたいな感想を抱きましたよ。
郊外の工場が職場だ、営業先だ、という人でもなければ、大半の在住日本人の行動範囲は私と変わらないと思います。8区ですら、住んでいたとか働いていたとか、そもそも用があるという人も、6年間でふたりしか遭遇していません。もっとも~っと言えば!1区と2区、あるいは1区と7区、くらいしか行かない人もいるかと思います。帯同されているご家族におかれましてはとくに。
最後に、この記事を読まれている方の中には、移住予定だったり、あるいは住み慣れたから引っ越そうかと考えている人もいるかと思います。そこでちょっと乱暴に言うならば、各区にオススメの人といえば、こんなカテゴリー分けができるでしょう。繰り返しますが、独断と偏見まみれです。
・友人や出張者がよく来るので観光スポットを案内したい
・1区じゃないとホーチミン市じゃないと思ってる
・いつなんどきでも日本食を食べていたい
・ほ~んのちょっとだけローカル生活に挑戦したい
・タンディン教会のピンクカラーに癒やされる
・サイゴン駅だ~いすき!
・ローカル生活もいいが日本食を食べたいときにすぐ食べたい
・ウィークエンドはタオディエン(2区)で朝食を
・高層アパートに住みたい
・ローカル生活!
・ゴッドファーザーや任侠映画が好きだ
・いつなんどきでも巨大な貯水塔を眺めていたい
・夜ジョギングしたい
・都会的な街並みが好きだ
・いつなんどきでも韓国料理を食べていたい
・夜ジョギングしたい
・都会的な街並みが好きだ
・オシャレなショップ&カフェだ~いすき!
・いつなんどきでも中華料理を食べていたい
・漢方の香りだ~いすき!
ま、とはいえ、これから地下鉄も走ると駅ができる訳で、すると「区」の概念も一変する可能性は大いにあります。バンコクだって、BTS(都市鉄道)が走っているにも関わらず、駅から離れたところも栄えているということもぜんぜんあるそうですから。5年も経つとこの情報も加齢臭が漂ってるのかもしれないな~、情報って水モノだわほんと。ではではみなさん、また会う日まで!