ベトナムでは花屋や花が生けられた花瓶もよく見かけますが、その配置や置き方を芸術として捉えた生け花は見た記憶がありません。そのベトナムで生け花の世界を伝えたい、則本梨絵さんにお話を伺いました。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2013/10/16
ベトナムでは花屋や花が生けられた花瓶もよく見かけますが、その配置や置き方を芸術として捉えた生け花は見た記憶がありません。そのベトナムで生け花の世界を伝えたい、則本梨絵さんにお話を伺いました。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2013/10/16
花っていいですよね!
ベトナムには花を使った料理がありますが、ケニアではお尻を拭くための花があるそうです嘘です。
料理(花の鍋)は本当にあります。
以前、記事に書いた、華道の先生にベトナム人女性へ生け花を教えてもらったという記事を覚えていますか?
そこで登場してもらった池坊華道・池坊正教授一級取得者である則本さん。
幼い頃から華道の道に入り、現在このホーチミン市で日本人女性を中心に生け花を教えています。
また、料理人という肩書きも持ち、ホーチミンに在住日本人の誰もが知ってるであろうあのお店に関わっていたり。
彼女が華道の道に入ったきっかけとは?何故ベトナムにやってきたのか?今後の展開は?
今回、それらの質問をぶつけてみました。
***
背景がファンキー過ぎ&服装がラフ過ぎて全く華道家に見えない。
ネルソン「よろしくお願いします。」
則本さん「はい、よろしくお願いします。」
ネルソン「そういえば、全然関係無いんですけど、恋人が出来たとか…?」
則本さん「はい!」
ネルソン「きっかけが、べとまるとか…?」
則本さん「そうっす、彼があの記事を読んでいいなぁと思ってくれたらしく。」
ネルソン「御祝儀ください!」
則本さん「いや、逆でしょ!」
目次
ネルソン「ま、そんな訳で、今日は則本さんの生け花エピソードやベトナムに来たきっかけなど聞かせてもらえればと思います。」
則本さん「はいー。」
ネルソン「まず、いつから華道に携わることになったんですか?」
則本さん「9歳ですね。」
ネルソン「9歳?早いですね。」
則本さん「私の伯母が池坊華道の先生をやっていて、跡継ぎにしようと思っていたらしいんです。」
ネルソン「則本さん自身も、そうなろうとしていた?」
則本さん「小学校の卒業文集には、『普通科の高校へ行って、池坊短期大学に入って、海外講師をやる。』って書いてました笑。」
ネルソン「小6で『普通科』って言葉は出ないでしょ笑。」
則本さん「洗脳ですよ、もはや洗脳。でも、なんだかんだでそれに近い人生を送ってますね笑。」
ネルソン「それでは、最初は進んでやっていた訳ではない?」
則本さん「子供の頃は『やらなければならない』と…でも、意識が変わってきたのは20代からです。大学を卒業して、池坊のお膝元の京都にある池坊中央研修学院に通いました。そこで一度、挫折を味わったんです。」※池坊中央研修学院のカリキュラムは、一年間に四期、一週間ずつ研修を行う。
ネルソン「挫折。」
則本さん「周りがすごいんです。池坊のお膝元なので、あらゆる世代が、世界中から集まってきている。70歳くらいの人もいて、私は最年少でひとつ上の世代でも30代でした。他にも、ニューヨークや香港から来ている人もいました。」
ネルソン「ニューヨーカーが?生け花を習いに!?」
則本さん「そうなんです!そこで圧倒的なレベルの違いを知って、いかに自分がなんとなくやってきたのかということを痛感しました。もう、ここにいても意味が無い。生け花と真正面から向き合って、再び伯母の元で修行しなければならないと思ったんです。」
ネルソン「少年漫画みたいや…。」
則本さん「確かに…。」
ネルソン「この頃はまだ『ベトナム』は一切登場しないんですよね?」
則本さん「いや、実はこの頃に存在だけは知りました。」
ネルソン「どうやって?」
則本さん「地元におしゃれなカフェが出来るって聞いたんです。」
ネルソン「カフェ?」
則本さん「はい。」
ネルソン「カフェってそんなん何処にでも…」
則本さん「いやいや、ウチの地元では初めてで衝撃的だったんですよ。美作に!?カフェ!?」
則本さんが生まれ育った美作市…なるほど。
ネルソン「働きたかったんですか?」
則本さん「そりゃもう!…そしてすぐに、まだオープン前のお店を訪ねて雇ってくださいとお願いしました。」
ネルソン「結果は?」
則本さん「ダメでした…。」
ネルソン「ダメだったんかい!」
則本さん「若者も少ないところで、上手くいくかまだ分からないので人を雇う余裕が無いって。それからスーパーでバイトしてたんですけど、3,4ヶ月経って店長がスカウトに来たんです!『ウチ来ない?』って!『働きます!』って答えましたよ!」
ネルソン「スーパーの中で?笑」
則本さん「はい、スーパーの中で笑。」
ネルソン「あ…ベトナムは?」
則 本さん「あ…その店長さんがベトナム食器が好きな人で、よく『割れたからベトナム行ってくるわ〜』と渡っていたんです。その時に、へ〜そんなところがある んだと。それから、23歳の時に友達と一緒に初めて行きました。当時は、ご飯も美味しいし、街の雰囲気も含めて、空気が合うなぁと思っていましたね。」
ネルソン「料理もそのカフェで覚えたんですか?」
則本さん「そういうことです。」
ネルソン「その時にも並行して生け花を続けていたんですよね?」
則本さん「そう、伯母の元で。それから三年経って、伯母から「もういいんじゃない」と言われ、再び中央研修学院へ戻りました。その時になると、見える景色がまるで違ってましたね。三年前は圧倒的なレベル差を感じていたのに、今なら『並べるな』と。そして、たちばな賞というものを獲りました。」
ネルソン「ちなみにたちばな賞って、どれくらいの割合の人が獲るの?」
則本さん「300人中で15人くらいです。」
ネルソン「おぉ〜。」
則本さん「それからしばらく、カフェで働きつつ、伯母の元でも勉強しつつ、自分で教室を開きました。生徒さんは近所のおばちゃんばかりで、みんなお菓子食べながらお話に来ることが目的なので、それをまとめあげて教室を進行することはかなりの精神修行になりました笑。」
ネルソン「想像するとおもろいなぁ。」
則本さん「それから、いつまでも伯母と同じ環境にいては、勉強にはなるけれど、それだといつまで経っても越えることが出来ないと思ったんですね。ただ、全く違う環境に身を置けば、越える可能性があるだろうと。そう思って26歳の時に横浜へ行きました。」
ネルソン「全ての軸が生け花になってたんですね。」
則本さん「そうですねー。」
ネルソン「横浜でも同じように教室を?」
則本さん「やろうと思って、子供に教えたかったんですね。」
ネルソン「どうして子供?」
則本さん「子供の発想って、すごいじゃないですか。教室を開くのもひいては自分の勉強のためだったので、彼らの発想に学ぼうと思っていました。それでフライヤーを作って幼稚園に配ったりしていました。だけど、鳴かず飛ばず…。」
ネルソン「そうなんだ。」
則本さん「はい。生け花教室がある幼稚園や小学校って、基本的にその施設の出身者の人が教えるんですよ。それで流派も決まっちゃうからあまり自由に出来ないみたいなんです。」
ネルソン「子供向けは難しかったんですね。」
則 本さん「だけど、友達に外国人の方をガイドする活動を行っている子がいて、彼女が自分自身が日本の文化を伝えられるために学びたいと言ってくれ、しばらく は一人の講師と一人の生徒という状態で教室を続けていました。それから、友達が友達を呼び、またその友達が…といった感じで段々と増えてきたんです。」
ネルソン「なるほど。それだと、教室で生計を立てていた訳じゃないよね。どんな仕事をやってたんですか?」
則本さん「billsで働いていました。」
billsは、オーストラリア発のカフェレストラン。「世界一の朝食」とも称されるスクランブルエッグやリコッタパンケーキで有名で、その朝食を食べるために昼まで行列が出来るという状況もしばしば起こるとか。
ネルソン「社員?」
則 本さん「いえ、アルバイトでした。とはいえ、お台場と表参道のお店の立ち上げにも関わっていて、社員にならないかという引き合いもあったんですが、上の人 達からは『お前は生け花を軸に生きていけ』とものすごく理解していただいていました。本当に良くしてもらったと思っています。」
ネルソン「では生け花と飲食の両輪で生活していたんですね。」
則本さん「そう、でもそろそろ岡山に帰ろうかなぁと思っていて、そんな時にbillsで『ハワイ店の立ち上げをやらないか?』という話があったんです。」
ネルソン「おぉ、そこで海外が出てくるんですか。」
則本さん「三ヶ月の予定だったし、それが終わったら岡山に帰ろうと。だけど、親会社から『日本人はコストも掛かるしわざわざ外国で日本色も強くしたくないから、少なくていいよ。』と。それで、アルバイトだった私の話は真っ先に無くなりました。」
ネルソン「うんうん。」
則本さん「そんなタイミングで、友人から『ベトナムで働いてみない?』と声を掛けられたんです。」
ネルソン「出た!」
則本さん「4P’sというイタリアンで朝食メニューを開発するというプロジェクトがあるから、やらないかと。実際は、私がいるから、それを売り込んだ形だったらしいんですけど。」
4P’sは、ホーチミン市にある日本人オーナーが経営するイタリアン。
日本人、欧米人、ベトナム人、多種多様な国のお客さんでいつも賑わいを見せている。
トリップアドバイザーでは本記事の執筆日現在で1,028件のお店中の12位にランクインしている。
ネルソン「それで、この国に来たんですね。」
則本さん「そう、どうせハワイに行くつもりだったし、ベトナムは馴染み深かったしいっかーと思って。」
ネルソン「それから今で半年間…朝食メニューも開発し、今は再び生け花が生活の軸となっていると。」
則本さん「そうですね。」
ネルソン「これからどうしていこう、というプランはありますか?」
則本さん「最近、こちら(現地)のカフェをお借りして日本人女性に向けて教室を開きましたが、今後もこういったことを月に一度でもやっていきたいと思っています。もちろん、ベトナム人に向けてもやりたい。それに切り花だけじゃなく、ベトナムの植物を探すプラントハンターにもなってみたいし、『植物はワシに任せろ!』という存在になりたいです。」
ネルソン「最後にえらい発言がきたな、プラントハンターもワシも…。」
則本さん「笑」
ネルソン「なんだかんだで、まるまる半生を聞いてしまいましたね。」
則本さん「そうですよ!恥ずかしい!」
***
まぁ、それをWebの海に放流する訳なんですが(事前確認してもらってます!)。
という訳で、ベトナムに生きる華道家・則本梨絵さんのインタビューでした。
そんな則本先生は現在、出張教室をしているそうです(女性限定)。
花器は家にある食器でもなんでもいいということなので、ご関心がおありの方は連絡してみてください。
今後もイベントは定期的にやるつもりらしく、それもまた同様に下記のアドレスへ聞いてみてくださいまし。
rienorimoto@gmail.com件名に「べとまる見ました!」と書いてください、私の株が上がります。