ホーチミン氏は「建国の父」ですが、インドシナ戦争とベトナム戦争を勝利へと導いたボー・グエン・ザップ将軍は「救国の英雄」とも呼ばれます。その英雄が逝去、追悼式に参列しベトナム史に残る瞬間に立ち会いました。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2013/10/15
ホーチミン氏は「建国の父」ですが、インドシナ戦争とベトナム戦争を勝利へと導いたボー・グエン・ザップ将軍は「救国の英雄」とも呼ばれます。その英雄が逝去、追悼式に参列しベトナム史に残る瞬間に立ち会いました。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2013/10/15
2013年10月4日、ベトナムでひとつの時代が終わりを告げました。
ベトナム人でこのニュースを知らない人はほぼいないと言っていいでしょう。
日本人であっても、テレビやWebサイトやまたは人伝てに聞いていることだと思います。
10月4日午後6時頃、ベトナム人民軍の指導者・Võ Nguyên Giáp(ボー・グエン・ザップ)将軍が、老衰のため、入院先のハノイ市内にある108軍隊中央病院でお亡くなりになられました(享年102歳)。
ザップ将軍は、一言で言い表すならば『救国の英雄』です。
第 一次インドシナ戦争中にディエンビエンフーの戦いでフランスに打ち破ってベトナムの独立を果たし、ベトナム戦争でもゲリラ戦を展開してアメリカ軍を撤退さ せ、ベトナムを幾度と勝利に導いた人物です。ザップ将軍が側近として付いていた、『建国の父』である故・ホー・チ・ミン国家主席と並んで、彼らがいなけれ ば今のベトナムは存在し得ないと言っても過言ではないでしょう。
その類まれなる戦術から、西側諸国からは『赤いナポレオ ン』と恐れられ、2006年に米タイム誌アジア版が創刊60周年記念号で『アジアの英雄』を特集した際には、ベトナムからザップ将軍を選出しています(な お、余談ですが、日本では13人が選出されているものの、全員が文化・スポーツに寄与した人物です。このことは、ベトナムにおける戦争は決して遠い過去で はないということを実感させます)。
12日、ハノイの国家葬儀場と、ホーチミン市の統一会堂で、国葬が執り行われました。 国葬は本来『党書記長』『国家主席』『首相』『国会議長』の4人に限定されますが、ザップ将軍は特例とのことです。翌日の13日には、朝方に同じ場所で追 悼式が執り行われ、それからザップ将軍のご遺体は故郷・Quảng Bình(クアンビン)省まで移され、埋葬されました。今回は、13日の追悼式の様子をお伝えします。
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統一会堂前。
追悼式は朝7時から行われるとのことで、6時から行動。
ベトナムはただでさえ朝が早いですが、この日この場所はにわかに人が集まっていました。
国家主席級の方の追悼式ですので、
普段は街中にいる公安の多くがここに固められています。
混雑が予想されるため、臨時で無料の駐輪場が特設されています。
それでは入りましょう。
追悼式のプログラム自体はハノイで行われ、
ホーチミン市ではその様子をスクリーンで投影されています。
この様子は、ベトナムのテレビ(HTV9)でも同時中継されていました。
時間は7時、開始時刻です。
チョン党書記長やズン首相など、政府幹部による弔辞です。
このあと、およそ1分間の黙祷。
ハノイ市内を回り、そしてQuảng Bình(クアンビン)省へ向かう車に棺が置かれます。
ホーチミン市でもハノイと同様に、追悼式の様子をうやうやしく見つめる参列者の皆さん。
追悼式は1時間で終了し、散り散りに。
こういう時でも解散は一斉なのね…ザップ将軍がいるハノイとはまた事情が変わってくるか。
ザップ将軍は102歳で亡くられたため、彼の活躍を目の当たりにした人は中年以上の世代だと思います。
にも関わらず、参列者の世代は多岐に渡るものでした。
このことから、いかにベトナム国民に広く知られていて、また尊敬されているかということが分かります。
統一会堂を出たところでは、テレビ局の取材クルーがインタビューを行っていました。
しばらく、ベトナム国民は悲しみに暮れることでしょう。
なお、1区のラウンドアバウトにあるSTARBUCKS COFFEEでは、
『国葬に際して営業を停止しております』と立て看板が置かれる休業状態。
ほぼ全てのテレビ局も喪に服すということで、12日と13日の二日間は放送を自粛。
街中のエンターテイメント施設についても同様で、それとは関係無く街中でも目立つ大きなお店の一部でも休業しているようでした。
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ザップ将軍は、もし日本の歴史で例えるなら、日清及び日露戦争の勝利に貢献して日本の国際的地位を確立させた東郷平八郎の存在が最も近いでしょう。その死の衝撃は、昭和天皇の崩御の時ほどかもしれません。
追悼式の後、ハノイ市内を回るザップ将軍に対し、沿道にあふれた市民からは『ザップ大将よ永遠なれ』と声が上げられていたそうです。ある通りには、ザップ将軍の名前を付けるという計画も上がっています。
ザップ将軍がいなかったベトナムを想像し得ません。
深い感謝と共に、追悼の意を捧げます。