- 12月 1, 2013
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鶏ダシ濃厚凝縮!春雨ヌードル・ミエンガー(Mien Ga):まさよのベトナムグルメ
ここは入店した瞬間にまるでとんこつラーメン屋の匂いがします。寸胴鍋で煮ているものは間違いなく鶏ですが……

二世っていいですよね!
●世といえば、吸血鬼ドラキュラのモデルの一人とされるのは「ヴラド三世(串刺し公)」ですが、その父親であるヴラド二世は自身を三世と名乗っていた時期があるそうです嘘です。
ややこしい嘘を言いました。どうもこんにちは、ネルソン水嶋です。
最近は島(沖永良部島)で初めて話す人からも「島を出るんだって?」と聞かれます。これが都会だったらめちゃくちゃ怖いですが、ザッツ・ラ・島ですから、ふつうです。島というか、小規模コミュニティならではですよね。というよりも、自分でSNSで書いているからであって、フォロー承認不要にしてあるInstagramなんかは、私は知らなくても、向こうは知っているということも多々ある。考えてみれば、ベトナムにいた頃から…いや、高校生の頃にメルマガを始めた頃から、それは変わらないかもな。
ところで先日、島で毎月に開催されている「酔庵塾(すいあんじゅく)」という勉強会で、私が島で暮らした6年間と、6月に東京へ「島立ち」する理由についてお話ししてきました。私にとってもちょうどいい振り返りの機会になったのと、せっかくスライド資料をつくったので、べとまるでも出しつつ書いておこうかなと思った次第です。これといって需要があるものだとは思ってないんですけど、下記の一件で、記録するって大事だという気持ちがより一層強まっているのかもしれません。
あと、需要がないだろうと言いつつも、都会育ちの「えらぶ2世・3世」は世の中けっこういるわけで、実際に島にRターンして、離れるまでの体験や考えの変化を書いておくことは、島に関わろうと思う島ルーツにとって何かしらの参考になるかもというのは思いました。私自身、先に島に移住していた2世の友人(もともとの友人ではない)の話に大きく影響を受けたわけだからね。
先日書いた42年の振り返り記事と重なるところもありますが、お時間があれば読んでやってください。
実際に酔庵塾で使ったスライド資料の一部を貼り出しつつ、お話します。

ここまで読まれている方ならお分かりかと思いますが、さっきから言っている2世、もっと言えば「えらぶ2世」というのは、「親が沖永良部島出身で、島外で生まれ育った人」という意味です。だいたい。これがいつから言われ始めたのか分かりませんが、沖縄の新聞ではよくブラジルやボリビアに住んでいる沖縄ルーツの方のことを「県系●世」と書かれています。日系と書いていないのがアイデンティティのミソですね。まぁ、県民自身がそう言っているかは分かりませんが。
沖永良部島や奄美でも、主に集団就職で都会に渡った人の子どもが生まれてからでしょうけど、「沖永良部(えらぶ)2世」「奄美3世」なんていう言葉が使われるようになりました。「有名人と島との関係を以て、島を自慢するために言われはじめた」なんて話を聞いたことがあります。裏は取っていませんが、やはり有名人は話のネタにしやすいし、実際にありそうな話だと思っています。

そんなわけで、沖永良部島にルーツを持つ「2世」で、私が知るだけでもこんな顔ぶれです。芸能関係が多いですね。いや、一般に知られる人がそうなのか。なお、酔庵塾ではモザイクを外してお話しましたが、お見せした人数は10人強なので関係者各位におかれましてはお許しください。ちなみに竹原ピストルさんは野狐禅というユニットを組まれていたときから好きで、15年近くが経って実は同じえらぶ二世と知って興奮したのを覚えています。2020年に来島してライブの予定があったんですが、コロナで飛んだそう。
で、検索してみたらえらぶの曲書いてんじゃねぇか!あとで聴こー。ちなみに、酔庵塾の後日に調べて知ったんですが、YouTubeで何度かお見かけしたことのある税理士さんもえらぶ二世でした。しかも、今気づいた!『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の著者なんだ!ななななんと~!潜んでるなぁ。本人たちは潜んでるつもりないでしょうけど…。

そんな私も、生まれ育ちは大阪ですが、母がえらぶ出身である、立派な「2世」です。
でで。私が島に来たのは2020年の夏ですが、そもそも私がなぜ島に来たのか。それは、ベトナムでこのブログを運営していた頃、「実習生が逃げていく島」というえらぶに関するニュース記事を目にしたのがきっかけです。ベトナムでの経験があり、かつ島にルーツがある自分にできることがあるんじゃないか。そんな思いから、2020年に移住を決めました。
また、とくに今回のテーマにおいては重要なこととして、小学2年の頃に夏休みを島で過ごしたことのあった私は、「祖母が元気なうちに自分と島との直接的なつながりをつくりたい」という思いもありました。


島に来てからは、当初大きな動機でもあった、島に増える外国人労働者(あえてそう呼びます)が住みよい島になるための活動をしてきました。交流ツールをつくったり、外国人住民向けの『やさしい島生活ガイド』などをつくったり、国家試験の介護福祉士に挑戦する友人の勉強をお手伝いしたり、などです。その間に、「多文化共生マネージャー」という資格を取るに至りました。



この、いわゆる多文化共生的な活動と並行して、郷土である沖永良部島について学ぶ機会も多くありました。その入口となったものが、鹿児島大学法文学部が主に奄美群島在住者向けに行っていた「奄美群島環境文化プログラム」です。学習内容そのものの説明はここで割愛しますが(リンク踏んでください)、沖永良部島や他の島々のことを学び、それらに暮らす仲間たちとつながり、群島全体においての沖永良部島の特徴が浮き彫りとなり(他の島と互いにですが)、えらぶ自体への解像度も益々高まっていきました。
その中で、私自身の興味というか、沖永良部島に対する興味のスコープが広がっていきました。と言いつつ、この最中にあるときはそれも自覚的でなく、今振り返ってみて初めて「広がっていっていたと分かった」、という感じです。

環境文化プログラム修了後も、自身での探究は続けていった、というより引っ張られていきました。

ちなみに、理由は後述しますが、東京に出て2世3世などの島ルーツとつながっていく(もっと言えばルーツを軸としたコミュニティをつくる)と決めて、多文化共生マネージャーの同期でもある友人に話したところ、「それは水嶋さんが自分が考えて決めたことなのか」と問われて、そこで初めて「周りから見ると、めちゃくちゃ方向転換しているように見える」ということに気づきました。
分野で言えば、多文化共生と文化継承みたいなものなので、畑違いと言えば確かに畑違い。ただ、実は多文化共生…というか、島に暮らす外国人の友人とのやりとりの中で気づいた、自分なりの発見というか仮説がありました。それは、「地域への愛着が育てばすべての問題はよい方に向かうのではないか」ということです。
結局、島でごきげんに暮らせている外国人の友人たちは、知る限り全員が沖永良部島の暮らしを気に入っています。もっと言えば、それは国籍を問わず日本人も同じです。気に入って、愛着があれば、チーム化していき、とくに共に行動する過程で「同じ釜の飯を食う」関係になる。では、そんな愛着をどう育てるかというと、その手段の一つが「島を知ること」ではないかなと思います。
もちろん、届ける相手によって伝え方は変わると思うんですけど、そもそも沖永良部島は奄美群島においても「過去の文化伝統<現代の産業振興や現代スポーツ」の傾向が強い島だと私は思っているので、沖永良部島の文化資源を島民にひらいてくということが、世代や国籍を問わず沖永良部島に関わる人の愛着の素地をつくれる、根っこからのアプローチだと思うようになりました。
ただ、座学などのお勉強をしよう!という意味ではないです。「島を楽しく知る機会をつくること」が、多文化共生(マイノリティにとって住みよい島になることと定義します)においても、島ルーツが島に関わるということにおいても、どちらにもつながるのだろうと「ふつうに」思う。白黒写真を色付けしはじめたのも、全員が分かりやすく楽しめる過去という点で、これが大きいですね。
大きく脱線しましたが、話は島ルーツに戻ります。私の島生活5~6年目あたりで、ある特定の人達との出会いが連続するようになりました。それが、もう言ってるんだけど、2世や3世の人達です。かつての私がそうであったように、ルーツを辿って島を訪れたり、SNSで私のルーツに関しての投稿を見つけて、連絡をくれたりする人が増えてきた。奄美群島の他の島はもちろん、それ以外の島々でも、そうしたルーツを辿って島にアクセスしようという動きを伝え聞いて、「これって社会現象では…」と思ったんですね。
ただ、まぁ、考えてみれば当然なのかもなと。以下は、世代別に1世(島で生まれて島に住む)/1世(島で生まれて都市に住む)/2世(都市に生まれて都市に住む、あるいは移住する)という感じで、ざっくり分けてみた図です。私で言うと、上から、祖父母、母、そして私。

ここで私と同じ境遇の人達は、地元に親戚もいなければ、祖父母の代から交流のある他人の家があるわけじゃないんですよね。神戸のような規模の大きい沖洲会(沖永良部島出身者・ルーツによる県人会的な組織)がある地域は別として、「自分はここに地縁がある」という感覚がないんですよ。ただ、あった上でなくしたわけではないので、地縁がないということにも気づいていない。
この地縁というのは、支えでもあり、しがらみでもあったのだけど、それが最初からスポンと抜け落ちて育ってきた人達が、成長していって、どこかで違和感を感じてルーツをインターネットで(←ここがミソ)調べ始めているんじゃないかなと。
ガジュマルには「気根(きこん)」という部位があるんですが、最初はツタの状態で、空気中から水を吸って伸びていって、それが地面に到達すると土からも養分を吸って成長し、やがて木を支える柱になるんですね。ルーツを求めて島に来たり、その中で私に連絡する人達の行動を、私はふと、そんな気根の姿と重ねるようになりました。でも、この島は、都市部からアクセスはよくないです。1969年に沖永良部空港ができたときのニュース映像で、「これで親の死に目に会えると喜んだ」と言っていたくらいですから。

なので、島で待って「ようこそ」と手招きするのではなく、都市部に乗り込んで「行こうぜ」と背中を押してしまおうと思った。それが私の島立ちの理由です。ただ、それだけ言っているとヘンに良い風に見せている感じなので、ちゃんと正直に言っておくと、まずそれができる環境(独り身)にあるし、やっぱり都市部の方が自分のスキルに合う仕事がたくさんありそうだからというのはあります。ひとつの行動にひとつの理由、なんてことはあんまりないですから。そうした複合的な思惑あっての島立ちなのです。
そんなわけで、6月下旬にはもう出ると思うのですが、2回目の東京生活にあたって今いろいろと準備しています。すでに書いている白黒写真のデジタルアーカイブとAI彩色。それと、奄美群島出身者・ルーツの方が営むお店をまとめたマップ。後者は、やはりとんでもない数になりそうなので、まずは沖永良部島から始めるかもしれません。というより、他の島は他の島で、そこと関わりのある人がやるなら、私がやる理由もありませんし。えらぶ版で得る知見などがあれば、むしろ連携できるといいですよね。
自分の今後については、以前にも記事に書いたのですが、この話を人前で話すのは初めてでした。

「酔庵塾(すいあんじゅく)」は、沖永良部島に暮らす東北大学名誉教授の石田秀輝先生が主宰されている勉強会で、友人のM.Aさん(外国人の友人の試験対策をともにサポートした)が事務局を務めています。毎月、石田先生と、ゲストが話されているのですが、M.Aさんから「島立ちにあたって話してみないか?」とお声がけいただきました。
自分の今後については以前にも記事に書いたのですが、人前でまとまった話をするのは初めて。やはり、文章と違って、人前で直接話そうとすると、噛み砕いて整理する必要があります。改めて、いい機会をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。今回については実は動画もあり(酔庵塾で毎回録画配信している)、石田先生と、もう一人のゲストであり、ただいまクラフトビールのクラファン挑戦中の大山さんが話されています。興味のある方はぜひご覧ください。
酔庵塾のInstagramページ(登壇回についての投稿)
酔庵塾のFacebookページ(登壇回についての投稿)
ちなみに、今後を直接人に話したときにどんな反応があるのか、まったく想像がつかなかったんですが、皆さん思うところがあったようで、けっこう質問やご意見をいただきました。とくに、「墓じまいをしたら、その子や孫は島に戻るきっかけを失う」という切実な声もありました。そうしたところで、島と都会をつなぐ存在はいてほしいということで、これはまさに私自身やりたいことだったので、「ルーツ継承に危機感を抱く人は私だけじゃない」と知ることができました。T.Aさん、本当にありがとうございます。
お話したあとの帰り、妙な充足感があったんですが、それは初めてリアルでこの話をすることの緊張感からの解放と、またそれに同調していただいたことへのうれしさだったと思います。けっこう、私は思い込んで行動したあとで、周りとの温度差を感じて、割りを食うみたいな経験があると自認しています。ただ、直接反応を見て、とくに島と地縁のある人達にとってはそれぞれの立場で当事者意識のあることだと思えたので、ルーツ継承は、無謀でもなければ、孤独な挑戦でもないと思えました。
また、ほかにも、とくに商業的な文脈ですが、「本土でえらぶのPRに期待したい」という声がありました。私自身がそうした仕事をしてきたわけではないので、実際どういう動きができるか分からないけど、少なくとも沖永良部島でつながる仲間はつくりたいと思っているので、自然と情報が広まる環境には近づいていくんじゃないかな?と思っています。ただ、それがメインテーマではないのと、お金はデリケートなので、そういう話はしばらくは脇に置いておこうと思っていますけど。まぁ、いろいろ、そんな感じです。
最後に。島を離れると決めたとき、「もう戻ってこないのね」と言われることもありました。きっかけはまさかのユタですけど、そのあと一週間ほど考えに考えて出た結論で、今となっては「選べるべくして選んだんだな」と思います。そりゃ、まぁ、決めたことを肯定するのが「人間しぐさ」だとは思いますけど。でも、物理的には島を離れるけど、本土にマイノリティとして眠るえらぶの文化やアイデンティティというのは、今の島以上にオリジナルのえらぶに近いと思うんですよね。
ボリビアに、オキナワという、死ぬまでに一度は行きたい街があります。名前から察しがつくかと思いますが、沖縄から、戦後に移住した人達が開拓した街です。入口には「めんそーれ、オキナワへ」という看板があり、祖父母から学んだという日系ボリビア人の方が日本語(というよりは、しまくとぅばかもしれませんが)を話すと聞きました。多くは残っていないかもしれないけど、今の沖縄で見られなくなった文化の断片が、そこには冷凍保存されていると思います。
そんなオキナワと沖縄は、移住から70年近く経った今も交流がある。それは、国内でありながらも、沖永良部島と本土に暮らす島ルーツの人達との構図も同じだと思います。しかし、3世まで下ると、ルーツを辿る難易度が一気に高まる。今やらないと間に合わない、それは都会生まれの2世である私だからこそできることじゃないかと思っています。
がんばるんばってことで。このへんで。