タイの日系情報誌『DACO』のネルソン水嶋特集。そのタイミングで、こちらもDACOの社長と編集長に取材を行いました。創刊20年の老舗にしてマニアック道を突き進むその理由、また紙媒体とウェブ媒体の違いについてのコンテンツ論、いろんな深~いお話ができましたよ!読んで読んで!
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2018/10/29
タイの日系情報誌『DACO』のネルソン水嶋特集。そのタイミングで、こちらもDACOの社長と編集長に取材を行いました。創刊20年の老舗にしてマニアック道を突き進むその理由、また紙媒体とウェブ媒体の違いについてのコンテンツ論、いろんな深~いお話ができましたよ!読んで読んで!
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2018/10/29
目次
先日、タイの日系情報誌『DACO』でのネルソン水嶋特集。
ドリアンを被った自分の顔面が雑誌の表紙を飾るという、人類史で後にも先にもないであろう稀な経験をさせてもらいました。企画段階から「タイムズ誌のように撮る」ということは担当の方からうかがっていたのですが、いつか本当のタイムズ誌の表紙の方も飾りたいと思います。頑張ります。予定はないです。
特集の内容については、オンラインですべて読めるので興味のある方はどうぞ。
https://my.ebook5.net/dacoonline/number488/
本特集の目玉でもある「タイでドリアンマンをやってみた」も、裏舞台をこちらに書いています。
で、さて!さて!さてさて~!!
今回はそんな~~~~、
トチ狂った企画を行ったDACOさんについて書いてみたいと思います。
そもそも、まぁまぁ、ふだんからヘンなことばかり取り上げている雑誌なんですよ。
タイで創刊20年という、日系情報誌の中ではかなりの老舗(というかたぶん最古)なのですが、最近取り上げられたテーマで言えば、変な建築物、タイの心霊スポット、お坊さんの一日、昆虫食について、などなど…。目の付け所がちょっと、いやだいぶおかしいですよね。ふつう、どんな分野でも、老舗のところって得てして王道を突き進んでるものなんじゃないの?いや、これもイメージで言ってるけどさ。
誌面からも、
「まじめなおふざけ」がすごい伝わってくる。
私にとって紙媒体って、なによりも海外の日系情報誌って、日本人コミュニティに根ざした情報を取り上げているイメージで。こんなお店ができたとか、在住者の経営者などにインタビューするとか、たとえ何か変わったことをやるとしても、全体の1企画(ページ)が関の山で、アクセントとして入れるくらい。そういう出来上がったフォーマットの中でいろいろやっている、というものだったのですが…。
まぁ、アホですよね(最上級の褒め言葉)。
20年前から存在していた訳ですから、いまさら私がどうこういうことはおこがましいとは分かっていますが。そんなものだから、自分を特集してもらうことにしたってなんの不安もないどころか、何が出来上がるのかとても楽しみでした。それもあるからこそ余計に、ドリアンが縮んでしまったことを申し訳ないと思うんだけども。まぁ、だれも怒ってないし、別にいいよね!(関係者以外が怒ってたら逆に怖い)。
想像より1/3ほど縮んでしまったドリアンスーツ。
ちなみに、ドリアンスーツ(ドリアンのよろい)は読者プレゼントに出されたのですが…。
まさかのまさか、マジで可愛いタイ人の女の子が応募&当選しました(そりゃ一人だしな)。
どうしますか。タイの時東ぁみですよ。真剣に。
何に使うのかと思えば、「会社のクリスマスパーティで使う」そうです。まだ二ヶ月以上ありますが、そろそろ黒く変色している頃ではないでしょうか…。なおその会社、日系金融企業らしい。やべぇな。トンロー(日本人が多い街)あたりで知らない日本人数人に囲まれて、「うちの可愛い社員をかどわしやがって!」とフクロにされるんじゃないだろうか。金融系ってラガーマン多そうだし(偏見)。
しかーし!誌面で私がかけているメガネはふだんと違う特別仕様なので、たぶん街を歩いても私だとバレることはないでしょう。何しろいまだに一度も声掛けられていないからね(それはそれでちょっと寂しいけど)。まぁ、でも、すみません。本当に。ふつうに心配です。黒くなったらさっさと捨てろよ~!
さて、いつものごとく前置きが長~くなりました。が。
この特集の撮影の合間、私もまたDACOさんに逆取材を行っていたのです。
DACOの出版元の社長・沼舘(ぬまだて)さん(右)と、編集長・宮島さん(左)。
沼舘さんの服装のラフっぷりの理由は、最後に明かされます。
これをどのタイミングで書くかな~とずっと棚上げしてまして、ようやくお披露目。非常に面白かった。DACOの歴史やコンセプト、また紙とウェブ媒体の違いなどのコンテンツ論に至るまで、色々な話で盛り上がっています。あぁ、俺はこういう話をするためにバンコクに来たんだなぁ…としみじみ思ったよ。
DACOの読者、コンテンツに関わる仕事の人、あるいはタイやベトナムの在住者(結局いつも通りだけど!)は、お楽しみいただける内容になっているんじゃないでしょうか?だーいぶ長いけど!数えたら13,000字くらいになったけど!文字いっぱいだぜ!おう、せやせや!それで踏みとどまるやつはお帰りなすって!ここはほんまもんの、読者の中の読者が踏み込んでいい領分じゃけぇの!うーん、今、自分でも何言うちょるかよく分からんくなってきたが………それでは、張り切ってどーぞ!
水嶋「という訳で!まずはコンセプトについてお聞かせいただこうかと」
宮島「私が入ったのは二年半前なので、創刊時の編集長も兼任していた沼舘さんに聞くのがよいですね」
水嶋「ですね、では創刊時と現在で違いはあるのか…」
沼舘「変わってないんじゃないの?」
宮島「まぁ…ですね」
水嶋「そうなんですか?」
沼舘「創刊して20年になるんですけど、当時のタイの日本語情報ってなんというか叙情的で、『タイの子どもたちの目が美しい』…とか。知りたいことがあっても自分で調べる以外に方法がなかったんです」
水嶋「20年前といえばまだバックパッカー文化も盛んですね。『深夜特急』などの旅小説が牽引したあとの時代。そう考えると、叙情的だったというその状況も想像がつきます」
沼舘「そこで、タイのことをひとつひとつ調べてデータとして、事実としてちゃんと伝えようと。そして、それを以てタイ人とのコミュニケーションを生み出したいという考えがあって、社名も『DATA & COMMUNIQUE EXPRESS』になった」
水嶋「DATAとCOMMUNICATIONとすれば、いろいろ付いてますけども」
沼舘「最初は『DATA & COMMUNICATION』にした…かったんだけど、すでにあったので、後半を造語にして『DATA & COMMUNIQUE』に。でも『COMMUNIST(共産主義者)』に似てるからダメとかそんな理由で、最終的に今の形に落ち着いたんです」
水嶋「あっ、『DACO』って、『DATA』と『COMMUNICATION』…?」
沼舘「そうです」
水嶋「なるほど!」
創刊してから2号目に、『世界の日系情報誌特集』を行ったDACO(タイ発情報誌なのにいきなり内容が斜め上すぎる)。すると、その各紙が現地の文化などではなく閉ざされた日本人社会の様子を伝えていたという事実に「なんだか田舎くさいなぁ」と感じた沼舘さん。そんな現状を見てますます、「僕らはタイ人といっしょだからこそ生み出せるものをつくるんだ」「日本人とタイとのコミュニケーションを生み出すんだ」と、社名にこめた思いを改めて抱いたとのこと。
沼舘「だけど段々と、読者を意識して、日本の流行りのデザインや編集を取り入れるようになって日本の雑誌っぽくなってしまった。それはそれで一部の人にはウケるんですけどね。でも、僕らはメディアではなくサービス業だと思ってます、「楽しませたい」という思いを持って、芸人のつもりでやっている。そこで昨年、『DACOってなんだろう』と一年かけてみんなで掘り下げて、最終的に「タイ人といっしょにつくり上げていかないとDACOじゃないよね」という結論に至った。それからは今まで以上に、タイ人の意見を取り入れたり、誌面にタイ人の声を盛り込むようにして。一方でタイ語のDACOは日本人の声を積極的に入れるようにしました」
水嶋「すると、確かに最初に話されたように20年前と変わってない…というよりも、原点回帰?」
沼舘「そう。自分たちのオリジナリティを改めてきちんと考えた結果、たとえ間違っていてもいいから、儲からなくてもいいから、これを推していけば生きていけると思ったんです。昆虫といっしょです」
水嶋「昆虫?」
宮島「え、昆虫?」
※昆虫の話はこのまま流れました。
水嶋「さきほどの話にあった、タイ人向けのタイ語のDACO」
沼舘「DACO THAIですね」
水嶋「そのDACO THAI、これっていつからはじめたんですか?」
沼舘「15年前です」
水嶋「!だいぶ早くないですか?今でこそ、国によっては日系企業が現地向け情報誌を出しているところも増えているかと思いますが、15年前なんて…いったい、どういうきっかけで??」
沼舘「DACOを創刊してしばらくしてね、タイ人スタッフに聞いてみたんですよ。「あなたたち、日本人のために情報を集めるのもつまらないでしょ。タイ人向けになにかやりたくないの?」って。そうしたら「もちろんやりたいですよ」って返ってきて、三日ほど考えてもらったら、「日本人といっしょにやってるし、日本をテーマとしたものをつくりたい」と言ってきて。それからはじめたんです」
水嶋「それが15年前かぁ~。今でこそ日本人にとってもタイ人市場は巨大ですが、当時はまだそんなこともなかったはず。損得だけではまずとらない選択肢でしょう、それができるのはかっこいいですね」
タイ人向けに日本の情報を伝える、「DACO THAI」。もともとはDACOもこの縦長サイズだった。
水嶋「DACOって老舗ですよね?」
宮島「たぶん、タイの日系情報誌では一番老舗じゃないですかね」
水嶋「20年前からある老舗なのに、ずいぶんマニアックじゃないですか」
宮島「王道じゃないですよね、むしろあとから王道の情報誌がたくさん出てきた(笑)」
水嶋「僕自身が記事を書いていて思うんですけど、海外のことって、観光、お土産、ビジネス、このあたりを軸に攻めた方が読まれやすいと思うんですよ。なにしろ検索される題材だから。競合が多いにしても、取材すらしてない記事も多いので、そこはちゃんと書けば。でも個人的にあまり興味がなかったので、ダチョウに乗ったり、特撮衣装をつくるベトナム人がいるから会いに行こう、とかやってきた訳なんですけど。20年…大先輩な訳ですが、DACOが(最近では)変な建築物とか、お坊さんの一日とか、昆虫食とか、それらをやってきたことを見ていると、僭越ながら似たものを感じます」
宮島「だから今回、ネルソンさんが特集になったんじゃないですかね」
水嶋「…なんで他人事やねん(笑)。でもですよ、なんでそんなにマニアックを攻めるんですか?」
宮島「それは…完全に沼(館)さんのキャラクターそのものですよね」
沼舘「自分に興味があるものをやってきて、それが王道から外れてただけ…」
水嶋「そういえば、沼舘さんの書いた文章を拝見しましたけど、個性をビシバシ感じますね…(笑)」
LINEアカウント開設の告知のやりとりとか、
酵素風呂のPR記事でも、詳しくは読んでもらうとして…濃度が、高い。
水嶋「LINE開設の告知も、酵素風呂の紹介記事も、この文章すごい濃いなと思ってて。担当編集の方にこれ書いたの誰ですかって聞いたら、『社長です』『え、社長かよ』って。でも今、それが沼舘さんが書いたということと、このDACOを20年前にはじめた本人ということは、線になってストンと腑に落ちる」
沼舘&宮島「おーーー」
水嶋「おーって(笑)」
宮島「あ、でも、昔はとくにアクが強いですよね。裏表紙の広告枠でお詫びと訂正をしていたり」
沼舘「あれは広告が取れなかっただけだよ…。ちなみに僕が書いた記事で一番のお気に入りが『プラ・トゥーは語らず』というものです」
プラ・トゥーは語らず。気になる方は一部50バーツ(日本では476円+税)で買えます(バックナンバー紹介ページ)。
水嶋「『僕が書いた記事でお気に入りは…』って、社長のセリフじゃないですね(笑)、作家でしょ」
宮島「そうなんです!良いところに気づかれました。作家なんですよ、沼さんは。編集できないんです」
沼舘「いや、そんなことないよ」
宮島「作家ですよ」
沼舘「僕は営業ですよ」
水嶋&宮島「営業??」
沼舘「バシバシ広告をとる名営業だったんですよ。相手の広告を勝手につくっちゃう、それで…」
*以下、沼舘さんの回想*
沼舘「すごいのつくりました!」
お客「あ、そうなの。じゃあFAXで送って」
沼舘「FAXはちょっと白くなっちゃうんで…」
お客「分かったよ、来て話しなよ」
沼舘「(相手のオフィスで世間話してから帰ろうとする)ではそろそろ…」
お客「ちょちょ、ちょっと待て、広告を見せに来たんじゃなかったのか?」
沼舘「いや、社長さんと話している間に僕が間違っていることに気づきましたので!」
お客「いいから、間違いでもいいから見せてみろ」
沼舘「いや、やめておきます」
お客「いいから見せて」
沼舘「いやいや、失礼ですから」
お客「いいから」
沼舘「できませんよ~!」
お客「いい加減にしろ!」
沼舘「はい!(見せる)」
お客「…ほう、なるほど。うちはこうじゃないだろ、ほらこことか…」
沼舘「いやでもここはデザイン的に…大きさも…」
お客「お前、そうやってなし崩し的に大きい広告を取らせようとしてるだろ」
沼舘「とんでもない!大きくなるほど単価が安くなるので、小さいものを数取った方がいいんです」
お客「そうか…じゃあ、大きなものの半分でいこうかな」
沼舘「しめしめ」
お客「しめしめ!?」
*ここまで沼舘さんの回想*
最後の二行だけフィクションですが、こんな感じ。
水嶋「戦略家ですね…!」
沼舘「戦略じゃないけど、楽しいじゃないですか」
水嶋「なるほど。ところで今気づいたんですが、話題の巻き込みっぷりがエグいですね」
水嶋「読者層でもあると思いますが、この20年間で日本人社会に変化ってありました?」
沼舘「ヒエラルキーが崩れてきてますよね」
水嶋「ヒエラルキー」
沼舘「昔は、大使館、JICA、商社…という職業によるヒエラルキーがあったんですよ。駐在の奥さんたちも、旦那さんの職業や立場に応じて上下関係が決まり、上位にいる奥さんが場を仕切る。たとえばあるコンドミニアムには金融系で働く日本人家族が住んでいて、エレベーターで奥さんたちがいっしょになると、支店長クラスの方の奥さんが「日本を背負って来ているんだから、一挙手一投足をタイ人が見ているつもりでシッカリしなさい!」と檄を飛ばす。飛ばされた側も、「はい!」「シッカリしなきゃ…」と。いいんだかわるいんだか分からないけど。そんな話を現場にいた人から聞いたこともあります」
水嶋「それが変わってきたんですか?」
沼舘「そう。商社が何なの、とか。駐在の人たち自身もタイが好きになって帰任せず転職して住むようになったり、あるいは最初から現地企業で働く人も増えていたり。駐在って羨ましい、という考え自体がなくなってきていますよね。もしかしたらですが、5年10年もすれば駐在員も、日本の本社がお金を払わなくなって、現地で続けている日本人の下で働くことになる…かも、しれない。かもですよ、かも」
これは私も非常に納得できる話で、とくに昔(具体的には20~30年前)から日系企業も進出しているタイでは、現地採用として働く日本人も長いキャリアを積んでいることが多い。国に合わせた仕事のノウハウ、現地社員との信頼関係、なによりも本社にとっての予算上の事情からも、日本から出向する駐在員が現地管理者の上につく、ということはいくら身内贔屓の企業といえど非合理性は無視できない。沼舘さんは「かも」とは言うけど、いつか実現する未来の形なんじゃないかと思います。
水嶋「でもその話、ベトナムもよく似ていると思います」
沼舘「そうですか」
水嶋「私が移住した7年前当初は、駐在や現採ももっとハッキリ別れていました。だけど今は、人が増え、その分だけ趣味やスポーツのサークルが増えて、駐在・駐妻・経営・現採、いろんな立場の垣根を越えて集まるようになってきています。その背景には、FacebookなどのSNSで、仕事を通してだけでは見えてこない、個々人の活動や考えが見えるようになってきたことも大きいはずです。それに加えて昨今の、お金を稼ぐことだけが成功ではない、どう楽しく生きるかの方が重要だという風潮も相まって、今まで海外の日本人コミュニティに存在しがちだったヒエラルキーを崩してきているのだと思います」
ベトナムの日本人社会についてはこちらでも書いたので、興味のある方はぜひ。
「ベトナムの日本人街の「路地裏街」化、SNS解禁が拓いた新時代。」より。
水嶋「日本人コミュニティは互助会の役割もあったんです、でもそれがライフ…ライン…じゃなくて」
沼舘「セーフティネット」
水嶋「そう!今となってはネットで自分で調べられるし、先輩在住者に頼らなくてもよくなってきた」
沼舘「タイでも最近は日本人会の人数が減ってきている、と聞いています」
水嶋「宮島さんは、二年半前に来て間もなくコンセプトについての話し合いがあった訳ですよね」
宮島「転職から一年後にありましたね。でも、変えることが前提で話してるけど、そのままでよくない?と思ってました」
水嶋「それはなぜ?」
宮島「今って、SNSで情報がすぐに広まるし、タイ人が調べる新しいお店もすぐに英語でアップされて、それをタイ語や英語の分かる日本人が日本語でアップして、その速さに対抗してもダメだなと思ったんです。だから、私が編集長になるにあたって、誌面からネットですぐに調べられるようなことをほとんどなくした。毎月の新店情報などはブロガーさんの方が早いので、そこに丸々1ページを割くくらいならもっとおもしろいことをやろう、ネットの検索キーワードが思いつかないことをやろう、と考えました」
水嶋「検索キーワードが思いつかないこと…か、おもしろいなー」
宮島「自分の中のコンセプトは、『気にすらしないタイのこと』。ふだん、調べようとも思わない、周りにあるけど気にも留めないこと。たとえば、BTS(市内鉄道)の隣に座っているタイ人がスマホで何を見ているのか、とか。ただ、それは結局これまでずっとDACOがやってきたことなんだけど、あえて明文化するならそうなると思いました」
水嶋「ある意味、変わってはいない。ただしそれが武器だと自覚した、ということですね」
宮島「それからはより一層、タイ人のことを考える時間は増えました。毎号、タイ人のトレンドを紹介する記事を載せているのですが、こういうものが流行ってるよという単なる事実の紹介に終わらず、これを受けてタイ人はどう盛り上がっているのか、というところを必ず盛り込むように意識しています」
「タイ人の流行をおしえて ぶむぶむ!」、コーナー名の通り、タイでの流行やその背景を紹介している。
水嶋「個人的な考えに寄りますけど、私が勝手ながら紙媒体に求めているものはまさにそれです」
宮島「おぉ?」
水嶋「現代のインターネットは、みんなが情報発信して、すぐに調べられる、つまりは『集合知』が主役だと思うんですね。だからこそ、いろんな見方はありますけど…その『反対側』として語られがちな紙媒体には、誰もが明らかに求めて集合知としてすでに存在していることではなく、誰も気づけていない、おもしろいことをやってもらわないともったいないんじゃないか、と思っています」
沼舘「それはウェブでもできることじゃないですか」
水嶋「できます。できますし、自分なりにそれをやってきたつもりです。だけど…紙の方が深掘りできる気がする…。うーんと、ウェブの記事って、どこかで『検索されること』を意識しないといけないんです。でないと読まれないから。これをどう振り払おうとしても、検索というアプローチが存在する以上は消し去ることができません。たとえば、タイトルを付けるときに、『まだ検索されるからこっちがいい』とか、必ずSEO対策の存在が干渉してくる。だけど紙なら直接的には検索されようがないものだから、一切無視しておもしろさに従える。スペースの制約など、別軸での縛りはありますけどね。それでもって、1ページで終わらなくてペラペラと複数ページをめくっていくものだから、全体でレイアウトを考えられる。それがウェブだと、あくまで独立した単体記事の集合体なんです。うまく説明しづらい…」
宮島「わかります、めっちゃわかります」
沼舘「ウェブでもできるんじゃないの?」
宮島「読み手が自分で取りに行くのがウェブなので、ヒットさせるためにキーワードを準備する。雑誌はそのままポンと与えられるもので、ほしいものとほしくないものが入っている、そういう媒体なんだと思います。自分がほしいものだけがパッケージングされていないからこそのおもしろさがあるんだと」
水嶋「そうそう。あと、存在感の違いも大きいです。紙は物質的であるがゆえに、世界中へ瞬く間に広まることはできないけれども、目の前に置かれると無視しづらい。読まざるを得ない力を持つ。だけどウェブはそうじゃない、物質的ではない、スマホやPCに映った情報なので存在感はやはり軽いと思うんです。一長一短なんだけど、それぞれの役割も違えば制作上のポリシーも違ってくる。だからといっておもしろさを深めることがウェブじゃできないとは言わないけど、紙の方ができやすいことは事実です」
宮島「雑誌だと最初に絵があるので、たとえば昆虫食特集でも『虫』って単語がなくても成立する」
水嶋「うん。検索されるかどうかで言えば、ウェブはどうしても大きな入口がないと人を呼べないんですよね。SNSなら信用や影響力のある人が言及しているかどうか。キャッチーな要素を入れないとみんな来ない。一方で目の前にある紙なら、いきなりそこに行ける。だけど、繰り返しになるけどどうしても、前者は全世界に発信、後者は物質であるゆえに広まらない」
宮島「すでに手にあるからこそ、共通言語を持てるかどうかは紙の方が有利なんだと思います。ウェブの場合は不特定多数に開かれすぎて、ちょっとした用語の説明も念のためにしていかないといけない。たとえば、『バンコク』を『タイ・バンコク』と書かないといけないとか」
水嶋「そうですね。ウェブもコンテンツ…コンセプトの認知が広まることで共通言語を持てると思いますが、そこまでが長い。RPG風に言えば、紙は強めの単体攻撃、ウェブは弱めの全体攻撃、って感じかな」
水嶋「今、バンコクには十数誌も媒体があるじゃないですか。今あるものにもなくなったものにも関わらず、20年間やっていて、方向性を寄せてくるところはなかったんですか?」
沼舘「一度、『サブカルの雑誌をいっしょにやろう』と言ってきた戦場カメラマンの方がいましたね」
水嶋「戦場カメラマン…ひとつひとつの単語が濃いなぁ(笑)」
沼舘「ただそのとき、サブカルって何?という感じで、ぜんぜん意味が分かりませんでした」
水嶋「今は工業系だったり美容系だったり、バンコクの情報誌って各分野に特化してるけど、基本的にビジネスありきという感じがします。これだけクリエイターの多いバンコクで…だからこそ私は移住してきたんですけど…DACOのように振り切ったところがほかになかったのは、私にとってちょっと意外です」
沼舘「カテゴライズしている方がやりやすいですからね。親しい人から『DACOもこれから細分化されていくんですよね』と言われたこともあったけど、そこにかけるほどの労力も人数もなく、月2回の発行でギリギリだった。それに『歩くバンコク』の制作もやっていたから。一年前にコンセプトを見直したときには『細分化もやってもよかったかな』と思いもしたけど、『そういえば何年か前にDACOっておもしろい雑誌があったよね』と言われる過去の存在になってしまうのかも、と思ったら吹っ切れました」
水嶋「なるほど。きっと、20年前の細分化されていなかった時代だから、そして沼舘さんのキャラクターだったから、DACOが生まれたんでしょうね」
沼舘「どうでしょうね。僕がそうというか、タイという国が僕をそうさせたという気はします」
歩くバンコク。メディアポルタが発行している観光情報誌。バンコク以外に台北やベトナムなどもある。
水嶋「カテゴライズの話でいうと、6月に日本で、『ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)』が恵比寿で主催した『生活のたのしみ展』というものに行ってきたんですよ。すると、みんなおもしろいくらいにボーダー柄の服を着ているんですよね。なんだか無印良品っぽい、ふわふわした綿素材を着ている。たぶん合わせた訳じゃなくて、たまたま。すごいなと思ったんです。ウェブメディアにも関わらず、ファッションセンスに至るまで読者イメージが固まっているじゃないですか。通販をよくやっている、つまり何らかの商品を媒介にして人が集まっているということもあるんでしょうけど。『ほぼ日の読者ってこういう人』、これが出来上がっている状態が、ウェブメディアのひとつの完成形なんだなと思いました」
宮島「ブックマークされていけば、その状態に近づいていけそうですよね」
水嶋「そうですね。検索で訪れるのではない、気に入ったからブックマークする、メディアを信用して読者になる。そこではじめてウェブは、存在感という点で紙と同じ土俵に立てるのではと思います」
生活の楽しみ展での一枚。とかいいながら、これにはボーダー要素がほぼないけど。
水嶋「でも私は、DACOが独創性を軸にしていることと、ウェブメディアのアプローチの話は、そのうちつながってくるんじゃないかと思うんです。今ってコンテンツが増えすぎて飽和してしまって、もうみんな嫌気が差しはじめた時期にある。何を調べても、フリー素材をたんまり使った誰が書いたかも分からない記事が出てくる。そろそろ揺り戻しがきて、『長くはないスキマ時間、おもしろいものだけ読みたい』という需要が今よりさらに強くなっていくんじゃないかと思ってます。Googleがなんとかしなければ…もしかしたら(日本で)検索という概念が死ぬ未来だってあるかもしれない」
宮島「なるほど。DACOって、何も紙にこだわっている訳じゃないんですよね。『タイ人といっしょにつくっていく』ということが残れば、紙でもウェブサイトでも、SNSでも構わない。沼さんが『うちはコンテンツ屋だ』とよく言うんですけど、そのコンテンツの出し先が増えてきたら、逆に紙はもっと尖らせられるはず。すると、紙はもっとも純度の高いDACOになるのではと思います。だけど今は切れないページもあるから、完全には煮詰められないという感じ」
水嶋「聞いていてやっぱり思うのが、紙は作品性が高いですよね。ブロックが複雑に噛み合っている。だけどウェブってそれらが大してなくて、記事というブロックが並んでいるだけだと思うんです。言い換えれば、そのブロックのフォーマットが決まっているから検索されやすいんだけど。その点で紙はもっとフリースタイルなんですよね。まぁ、そんなウェブでも、有料にすれば紙に近づくとは思いますが」
沼舘「有料で紙に近づくとは、どういうこと?」
水嶋「ウェブ(記事)って、読者の関心を途切らせ、離脱させないように、検索性はもちろんのこと、タイトル、サムネイル、見出し、太字の部分…なにからなにまで気が抜けないんです。紙もそれがないとは言わないけど、『目の前にあり手に持っている』という時点で、ある程度は読まれる関係にあると思う。それがウェブはとても刹那的で。でも、有料になると、もったいないという動機から『ある程度は読まれる関係』という意味では紙と同じになり、離脱を恐れずに個性を出せる。とはいえ、鶏と卵のどちらが先かという話で、そもそもまずはメディアに対する信用があるから有料が成立するとは思うんですけどね。お金を出してもらえる時点で、無料であっても読んでもらえるかもしれないけど、さらにそこにお金が掛かれば時間を上乗せしてくれる良い読者になることは、間違いないと思います。だから、有料のウェブメディアと紙媒体は、読ませる力という点では近いんです」
宮島「おもしろい、このまま飲みに行きたいですね(笑)」
水嶋「(笑)」
バンコクの紀伊国屋にある、日系情報誌が積まれた専用棚。
水嶋「Cakesという有料ウェブメディアがあるのですが、あれはライター…作家と言ってもいいかもしれないけど、彼らに対してひとつの連載コーナーを用意して、キャラを立たせている。コンテンツのつくりかたそのものが紙っぽいなぁと思うんです。最初から連載が前提としてあって。だけど、その点で、世の中の…ただしくは日本の無料メディアってほとんどが単発記事前提という印象です。私もライターとして当たり前だと思ってきたけど、それってあまりに刹那的というか、なるべく数を打った方が良いという検索性に無意識下で飲み込まれているんじゃないかと最近思うようになりました。毎度毎度のネタ勝負になる時点で。ライターがそこを意識して、単発記事でも複数に渡ってテーマ性を持たせていれば個性を深めていけるのなら話は別ですが。でも、一人でそこまで題材を絞り込める、言わばセルフプロデュースができる人って決して多くないとは思います。私だってできないし。なので、自分に編集権のあるプロジェクトでは、試験的に連載を組んでみることで、書き手や題材の個性を深めていきたいなぁと思っています」
宮島「べとまるも雑誌的ですもんね…」
水嶋「え?うーん、あれは…別に意識してこなかったけど」
宮島「どう検索したのか覚えてない、ヘンなのがあるぞと掘っていった感じでした」
水嶋「たぶん、検索でたどり着いた人は相当マニアックなことを調べないと出ないはず。ダチョウに乗る方法とか。それこそDACOと同じく、ただやりたいことをやりつづけていった結果で。あれを今、どうしたら意味を持たせられる、分かりやすくなるんだろう、とよく悩んでます。さっきのブロックの例でいえば、とても下手なブロックの積み方をしたので。だからせめて新しくやることは、もうちょっと計算してやりたいなと常々考えています」
創刊20年記念企画、クライアントの広告を勝手につくる。
宮島「DACOも、広告もコンテンツとしてつくりたいと考えています」
水嶋「広告もコンテンツとして、って?」
宮島「創刊20年記念のときに、クライアントの広告を勝手につくらせてくださいという企画をやったんです。広告って、基本的にお客さんのPRになっちゃうじゃないですか。だけどDACOに信頼があれば内容も任せてもらえる。広告がたくさんあるにも関わらず、広告色を感じさせないものがつくれるんじゃないかと思ったんです。なので、任せるよ、と言われるコンテンツを持っている媒体にしたいと思ってます」
水嶋「そのあたり、ウェブのネイティブアドに考えは似てますね」
宮島「そう!そうですね。『任せてね、だってうちに相談してきたんでしょ』という」
水嶋「読み手が裏を読むのはもう当たり前。なんなら無いはずの裏を読まれることだってある。もう、どこにも媚びず、媒体としてポリシーを持っているかどうかということが重要になるんだと思います。まぁ…海外在住日本人向け、って時点で、日本に住む日本人とは単純に比較はできない話でもあるのですが」
宮島「DACOはターゲットが広くて、男女すらも別れていない。DACOが好きと言ってくれる人にどう伝えるか、それができていければいいな」
水嶋「最初からあるものに合わせて攻めるより、新しい属性を生み出す方がかっこいいですよね!」
宮島「確かに。でも、『これはDACOっぽい、あれはDACOっぽくない』と言われるけど、正直よく分かんないですね(笑)」
水嶋「その人がいつから見ているか、にもよりますもんね」
宮島「読者のタイレベルが上がっていってよりディープになると、その人にとって逆にDACOの方が浅くなっていくんですよ(笑)。だけどその人に合わせてこちらも深くなっていく訳にはいかないので、常にそこそこのところで留まりつづけています」
水嶋「だれにしろ、自分のタイレベルなんて簡単に気づかないですから」
沼舘「『よくこんな役に立たないことを調べるなぁ』というのがDACO指数が上がるのかもしれない」
宮島「そういうことを調べて、タイ人に話すと反応が楽しいじゃないですか。流行ってるんでしょ、とか。そうなってからタイ生活が楽しくてしょうがないです」
大変に楽しいお話でした。
ほんと、めちゃくちゃ楽しかったけど…ここまで読んだ人っているの?だいぶ長かったけど…。
読んだらシェアしてね…キミとボクとの約束だよ☆(きもい☆)
ちなみに、「後半ほとんどお前がしゃべっとるやないか!」という文句は甘んじて受け止めます。というより、執筆時にもりもり言いたいことが浮かんできて、自分のセリフに至ってはけっこう追記しました。いえーい!脚色ばんざーい!
それにしてもだ。ちろっと書きましたが、いろんなクリエイター系の人たちとこういった話をして、自分の考えを深めたり、良いものをつくっていきたいという気持ちから、私はバンコクに来たんですよね。録音データを聴きながら、ラジオ向きの話をしてるなーと何度も思ったので(どういうところで思ったのか自分でも分からないけど)、そういったコンテンツをつくってみるのも良いのかもしれない。
なお、途中で「酵素風呂」というキーワードが出てきましたが、DACOのオフィスの隣では酵素風呂(微生物がこんもり入った米ぬかに全身をうずめる)をやっておりまして、沼舘さんのあのラフな服装はちょうど酵素風呂のメンテナンス中だったから。それは!見てみたい!と言って奥まで案内してもらうと…。
「この糠は肌にもいいんですよ」と言って、
急に爆発したあとの人みたいになりました。