ダナンをふくむベトナム中部沿岸地域はかつてチャンパ王国という国がありましたとさ。その歴史は192年から1832年と、およそ1650年間!もし今もつづいていれば日本に次ぐ長寿国。観光地でもあるミーソン聖域は、そんなチャンパ王国の聖地として扱われた場所で、カンボジアのクメール文化にも通じる建造物を見ることができます。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2019/12/25
ダナンをふくむベトナム中部沿岸地域はかつてチャンパ王国という国がありましたとさ。その歴史は192年から1832年と、およそ1650年間!もし今もつづいていれば日本に次ぐ長寿国。観光地でもあるミーソン聖域は、そんなチャンパ王国の聖地として扱われた場所で、カンボジアのクメール文化にも通じる建造物を見ることができます。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2019/12/25
聖域っていいですよね!
聖域と聖地は厳密には意味が違い、後者の聖地は1ヘクタール未満という条件が入るそうです嘘です。
※この記事は動画でもまとめています。
目次
ミーソン聖域、ミーソン聖域だっつってんですけど、この「せいいき」という言葉が言い慣れず、私自身もいまだにミーソン聖地だかミーソン遺跡だか言ってしまいます。実際、「ミーソン遺跡」で検索した方が「聖域」の3倍以上ヒットしますからね。ま~、「遺跡」だと「それ、聖域もちがうか?間違ってへんか?」と提案してくれるGoogleのやさしさでしょうけど…。
そもそもそれなんじゃいと言いますと、クアンナム省(ダナン市から南にある省、ダナンもかつてはこの省に属していた)にあるチャンパ王国の遺跡であり観光スポット。なんとなく、調べてないけど、日本人旅行者向けにはパワースポットだと言われがちな場所という気がします。聖域ですからね、呼び方はともかくとして、見えざる力があると考えられていたことは間違いない。
行ってきました。
チャンパ王国は192年から1832年にかけて、今のベトナム中部沿岸地方を支配していた王国で、グエン王朝とドンパチしたり交易したりしていた国。その支配地域は現在でいえばおよそ20近くの省に相当することになり、ベトナムの省が合計58あることを考えると、かなりの範囲をカバーしていたと言えます。「ダナン」という名前の由来も、チャム族の「da nak」という説があることからも、その影響の強さがうかがえるでしょう。
もう一度書きますが、192年から1832年!これ、相当な長さです。今もつづいていれば日本に次いで世界で二番目に長い国家だったということになります。ベトナムは8割以上を占めるキン族を筆頭に、54の民族で構成される多民族国家ですが、そのひとつのチャム族はチャンパ王国の末裔です。現在のベトナムの半分を占めた王国が今や少数民族というのも、諸行無常を感じます。とはいえ、28万人いると言われているけど。
そんなチャンパ王国が定期的に儀式を行っていた場所が、ミーソン聖域。ふだんは沿岸部に暮らしていた国民たちも、その時期になると山奥にある聖域まで大移動して過ごしていたのだそうです。日本でたとえるなら、「富士山でご来光を見よう!」みたいな話だと思います(違うような気もします)。
そもそも無宗教も多い日本でたとえることが無理あった。
沿岸部、という言葉をそのまま受け取ると、ミーソン聖域までフルマラソンくらいの距離はありますからね(同じ沿岸でも川沿いだと違ってくるけど)。遠征だなこりゃ。しかし現代はとっても便利!ツアーに参加すれば1時間半くらいで行けてしまいます。
ミーソン聖域に車で着いて、ちょこっと歩けば…
ヴィー!
ヴィー!
ヴィー!
キッ!
「ヘイ!乗りなボーズ」
と言わんばかりのおじさんがお出ましです。環境にやさしい電気自動車(たぶん)。なにしろ山道ですから、楽させてもらいます。
曇ってるもののさわやかな風を受けて山道を行く。
そこからまた数分だけ歩き…
男子校の卒業旅行っぽいグループに紛れ込み…
あっ!
あったー!!
ミーソン聖域です。逆光で暗いけど。
「アンコールワットっぽい」「アユタヤっぽい」と思った方はある意味では正解。そもそもチャンパ王国はインド化国家で、インドの影響を強く受けた国。インド化とはフランスの東洋学者であるジョルジュ・セデス氏が提唱したもので、具体的には…
1.ヒンドゥー教もしくは大乗仏教
2.それらに基づくインド王権概念
3.ヒンドゥーのプラーナ神話
4.宗教法典「ダルマシャーストラ」
5.インドの古典語サンスクリット
これらのインド文明の5要素をワンセットとして組織的に需要したことを指します。
って、ウィキペディアの受け売りなので、詳しくはこちらをご覧ください。
そのインド化国家に数えられるものが、かつて、あるいは現在の、ミャンマー、タイ、カンボジア、インドネシア。つまり、大枠では、チャンパ王国と、カンボジアの前身であるクメール王朝とは同じインド化国家の仲間であり、その文化が詰まった象徴的建造物であるアンコールワットとミーソン聖域(の建造物群)が似通るのもふしぎではないと言えます。
たとえるなら、古代中国の影響を受けた日本と韓国の文化が似るのは当然という感じ。それがクメール王朝とチャンパ王国の場合はインド、ということですね。通りでインダス文明と黄河文明が四大文明に数えられるワケだわ。めちゃめちゃ影響与えてるやん。そう考えると「日本インド化計画」(筋肉少女帯の楽曲です)って、国と時代が違えばマジであったってことなんだろうな。
そう考えると、ベトナムは近世において、資本主義を掲げる南ベトナム共和国と、社会主義を掲げるベトナム民主共和国の間で二分された訳ですが、その以前は中華文化のグエン王朝とインド文化のチャンパ王国の間で二分されていた、という言い方もできるのかもしれません(そもそものルーツが違うので二分というのは正しくないかもしれないけど)。
ミーソン聖域はAからMまでのエリアに分かれており、ぜんぶ回ろうとするとどえらい時間がかかる(そもそも場所によっては今も改修中で入れない)のですが、安心してください。履いてま…じゃなくて、ツアーではほぼBCDが集まるエリアしか回れません。でした。ダナン市からは車で1時間半ほどかかるのでバイク乗りでもなければ自分で行くのも現実的ではなく、必然的に絞られます。
この日は平日でしたが、
7月末日の夏休み真っ只中だったので旅行客も多め。
草木と遺跡が映え…うーん、青空だったらと悔やまれるかな。
建造物には、
クメールっぽい…というよりインド化国家っぽい?装飾が見られます。
建造物をそのまま活かした資料室もあり、
部分的に欠けつつも、当時の工芸品が展示されています。
ここでガイドさんが突如、
ガイドさん「ちんちんでーす!!」
とは言ってませんが、そういうあれだよとのご説明。ツアーの参加者のご婦人たちも大興奮!はしていませんでした。そう、チャンパ王国ではこのように男女の性器を模した石像を神聖視する文化があり、聖域内ではこうした石柱(男性)と溝(女性)を組み合わせたものがよく見られます。女性は、この石柱に水をかけて、この溝を通って落ちてくる水を飲むことで、子宝に恵まれると考えられていたとのこと。
同じチャンパ王国の遺跡である、ニャチャンにあるポー・ナガールもおっぱいちんちんが盛りだくさんだったので、なるほどなぁという感じ。
ただミーソン聖域に比べてポー・ナガールの方が圧倒的おっぱいちんちん感があったので、もしかしたら、もーしかしたら、向こうの方が下ネタ好きだったのかもしれません。まぁ、たとえば日本の縄文文化もふくめて、世界各地に性器を模した古物があるし、自分たちが繁栄する、命が生まれるきっかけを神聖視するのも当然でしょうね。
チャンパ王国はおろか、ベトナムとはぜんぜん関係ないんだけど、性文化財については愛媛にある性文化財資料館に行った取材記事でも詳しく書いたのでぜひご覧ください(リンク先はデイリーポータルZというサイト)。前述の石柱と溝も展示されていてびっくらこいた。
実はこのミーソン聖域は二度目の訪問で、前回はチャム族(チャンパ王国の血を引く少数民族)の踊りが見られたのですが、このときはタイミングが合わなかったのかスルーしてバック・トゥ・ダナン。
ダナンもいろいろと見どころがあり、もっと言えば南にホイアンや北にフエなど、どちらも世界遺産があるもので、あまり時間がないとミーソン聖域は選択肢に入ってこないかもしれません。
そんなときはダナン市中心部、ドラゴンブリッジの西岸にあるダナン・チャム彫刻博物館へどうぞ。当時の美術品などはむしろこちらに多く集められ、また大事に保存されているので、建造物はもちろんないけど、チャンパ王国の美術感覚を味わうには適していると言えるでしょう。
ミーソン聖域(Khu đền tháp Mỹ Sơn)
住所:Duy Phú, Duy Xuyên, Quảng Nam
この記事は動画でもまとめています。
記事の写真と動画はDJI製品の”Osmo Pocket”で撮ってます、興味あったら買ってくれよな!(正直)