現在のベトナムになる前、海の街・ニャチャンはかつて「チャンパ王国」という国の一部でした。その歴史を今に伝える遺跡が、王国の神を祀る「ポー・ナガール塔」。きれいでこじんまりとしたミーソン遺跡(あるいはアンコール・ワット)という感じだが、小学生の下ネタみたいなものがちょいちょいあった。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2019/01/30
現在のベトナムになる前、海の街・ニャチャンはかつて「チャンパ王国」という国の一部でした。その歴史を今に伝える遺跡が、王国の神を祀る「ポー・ナガール塔」。きれいでこじんまりとしたミーソン遺跡(あるいはアンコール・ワット)という感じだが、小学生の下ネタみたいなものがちょいちょいあった。
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2019/01/30
猫っていいですよね!
猫の鳴き声といえば「ニャー」ですが、あれは世界の半分ほどの国でも言うそうです嘘です。
さて!
前回の記事をご覧の方は覚えておられるかと思います(忘れてた、まだ見てない、ということなら今すぐこの記事へ飛んだあとスマホあるいはパソコンを遠投せよ)。その目的地はニャチャン、ベトナム南部の中部寄りにある海の街。国内屈指のリゾートとしても知られるので、とりわけ在住者の方におかれましては行ったことあるよー!という方も多いのではないでしょうか?
え?まだ行ってない??
バッキャロウ!!
おまいさんはベトナムの何を見てたんだ!?
だが、安心しな…。
俺も行ってないから……。
と、小→中→大→中→小のパターンでいってみましたが、ご機嫌いかがでしょうか?(何がだ)
という訳で今回は、ニャチャンふれあい街歩き(とくにふれあいなし)をお送りしたいと思います~。
といっても、現地行った場所は3ヶ所。「ポー・ナガール(塔)」「ホンチョン岩」「泥温泉」で、みっつめは防水カメラを持っていかなかったから紹介できるものは前のふたつだけなんだけどね。まず今回はポーさんことポー・ナガールについて書きます。ちなみに、泥温泉はこれかなり新鮮で、ひとりでもそこそこ楽しかったからオススメですよ。寂しいけどね。楽しいけどひとりは寂しい。
あと最近確信を得たけど、韓国人はスパ系の施設大好きだろう。今日も見たぞ。
目次
「まずミーソン遺跡ってなんじゃい」とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
ヘッ、ナムベトのトーシロが!(と、ニャチャン初訪問の者が申しております)
ミーソン遺跡は、中部の街・ダナンにある遺跡です。実はこのダナンもニャチャンもベトナムの前進、グエン王朝、が、併合するまでは「チャンパ王国」という国でした(フランス領インドシナとか細かい歴史はすっ飛ばします、というより歴史の話をしすぎると集中砲火を受けるので避けたい)。ミーソン遺跡は、かつての王国における聖地であり、今ではダナン観光の目玉のひとつとしても知られているのです。
で、ででで~、このニャチャンにもそんな遺跡があるんですよねー。それが「ポー・ナガール」。
ちょうど前に記事に書いた秘湯(写真ほら見て楽しそう)は、そのミーソン遺跡近くにありました。
そこで、「初ニャチャンなら行っといてもいいんじゃない?」と、ベテラン・ザ・ベトナム在住日本人の方に教えてもらって行ってきた訳です。
実を言うと私、それまでニャチャンにチャンパ王国の遺跡があるとは、もっと言えばニャチャンがチャンパ王国のエリアだったことすら知らなかったんですよ。というより、ニャチャンに興味を持ったことがなかったというべきか。でも、それには理由というか言い訳があって…これはあとで話しますね。
しかし、心密かにチャンパ王国をリスペクトしている私。だってここ、西暦でいうと192年から1832年、実に1740年間も存在していた国なのです。歴史に「もしも」はないですが(これ中学の先生がいつも言ってた、いや高校だっけ?あれ、忘れてしまった)まだあれば日本の次に長い国だったという。じゃ、行ってみるか~って。まぁ、ニャチャンにもエリアが及んでいたことを知らなかった時点で、リスペクトだのとどうのこうの言っても説得力ゼロなのは分かってますけどね。
さてさて、ミーソン遺跡はか~なり山奥にある訳ですが(といっても観光地として整備はされている)、一方のポー・ナガールさんはどうなんでしょうか。さぞかし大自然のちからを感じさせてくれる、厳かな雰囲気に包まれた…と思いきや!きやきやきや~!
うん!
まぁまぁの街中だねー!!
そうなんです、ポーさんはめっちゃ街中。ニャチャンのヘソかっていう。まぁ、実際はヘソじゃないけど、街中は確か。しかし、このポー・ナガール(厳密にはポー・ナガールは神様の名前で、この建造物はそれを祀った寺院)は8~9世紀頃に建てられたと言われており、ここが千年以上前から街の中心だったことは間違いないでしょう。
↑なんてことを書いたら全国のポー・ナガールファンに怒られるかもしれませんが、チャンパ王国とアンコール・ワットで知られるクメールは、隣国同士ということもあって寺院の建築様式がよく似てます。アンコール・ワットの規模はバケモン級ですが、さらにミーソン遺跡ほどでもないポー・ナガールはやはりインパクトは小さめです。ただ、街中に突如現れる異世界感は、これはこれで違った趣があります。
余談ですが、クメール王朝はチャンパ王国を一時期(ヴィジャヤ王朝時代)占領しているため、アンコール・トムには当時のチャンパ兵の姿が描かれているそうです。いかに文化に影響を与え合いながら、かつドンパチやってたかということですね。もしかしたら、占領時に大きく影響を与えられたのかもしれません。詳しいことはそのへん歩いてる歴史家を捕まえて聞いてください、いねーよ。
ああだこうだ言ってないで入りましょうか。
入場料は22,000ドン(およそ100~110円)。
いまだに、ベトナムやタイでよく見る、この入口とは離れた場所でチケットを買わせる理由が分からない。なぜ距離を置く。パ●●コの三店方式じゃあるまいし。遺跡の構造に合わせて入口にカウンターをつくるのは無理がある、ってだけかな??
入場して真っ先に視界に入る景色がこんな感じ。
本丸(寺院の場合はなんて言えばいい?とにかく中心部)は階段を登った先にあり、かつ木々が視界を遮るように茂っています。なのでなんかこう…パーン!と見える訳じゃないので、ワッ!て驚きづらい。余談ですが、今私は日本のとある地方でこれを書いており、さっきシロクマのかき氷を見た3名の外国人グループが「ワオ!!」と驚愕のハモリを見せておりました。それがどう関係あるんだという話ですが、少なくともそんなリアクションをここでは取りづらいよねということです。はい、鹿児島にいます。
言う必要あった?そうだね、ないね。
やはりミーソン遺跡やアンコールワットによく似てます。
このへんとか、とくにね。
ド平日なので分かっていたことですが、日本人はいませんでした。いませんでした。いませんでした。僕は何を思えばいいんだろう…などとうっかりイエモンのJAMを熱唱しちゃうところですが、僕は極度のカラオケ嫌いなので絶対にしません。してたまるか。で、そう、ポー・ナガールには日本人はいませんでした。僕は何を思えば…(以下10回ほどこれを繰り返す)。
観光客の客層は、見た目や言葉で分かる限りですが、ベトナム人3割、中国人が4割、韓国人1が割と欧米人が2割、という印象。なんでもモスクワとニャチャンで直行便が出ているということなので、その欧米人の内訳もほぼロシア人かもしれません。あ、でもそれってよく考えたら、ニャチャンからモスクワへ行くと安いってことですよね!?それで今気になって調べたら日本発の方が断然安かったんでこの話題は終わりにしましょう。はい!や~め!やめ!
べらべら喋りすぎてるな、いつも通りだけど。階段上りま~す。
赤の他人の良い感じの写真が撮れたので上げとく。
上に上がると…
ポー!
16文キッ…じゃなかった、ナガール!!
街中ということもあり、観光スポット的な整備が行き届いています。「きれい、かつこじんまりとしたミーソン遺跡」という印象。姑が窓のサッシをスーと指でなぞっても何も残りません(現実は残ると思います)。それにしても、寺院だけを写真に収めようとしても確実に観光客が写り込む。広角レンズということが仇になってしまった。
それにしてもさっきから気になっているのが、
高台からも見える…
あの…
岩!
橋のそばにも見える…
岩!
これはおいおい書きますが、ニャチャンの名所もまた「岩」。
ここで、なぜ私がニャチャンに興味を持ってこなかったのかという話に戻ります(覚えてる?)。
なぜなのか。それはいろんな人からニャチャンの印象を「ハワイみたいな場所ですよ」と聞かされていたからです。ハワイなら行かねぇよ、なんてハワイに行ったことのないやつが大変失礼なことを申しておりますが。いずれにしろ、ニャチャンはハワイちゃいますよ(たぶん)。「岩」ですよ。もう岩。岩の街。岩明均。ヒストリエ。寄生獣。七夕の国。思いつき。話を戻そう。
ニャチャン=ロック・シティなのです。うお、いきなりカッコよく思えてきた。「シン・シティ」か「シム・シティ」みたいな感じ。違いすぎないか、この両者。
日本もふくめて世界のあちこちで岩を神様のように扱うところ、あるじゃないですか。だからこの街も、岩が見えるところにこのポー・ナガールをつくったんじゃないかなーと思えてきた。まぁ、その割に、あの橋のそばにある岩自体をどうこうしなかったのも不思議だけど。
なんかねずみ男みたいな男女がたくさんいるなーと思ったら、
寺院の中に入るための僧衣?のようです、全員ロシア人かな?(偏見)
砂絵をつくっていたので撮らせてもらいました。
描いた下絵になぞっていろんな色の砂を重ねていくんだな。
思った以上にレベル高い、いつかコンダオ島で見たものよりも良いものだ。
最後に、敷地内にチャンパ王国時代につくられた工芸品があったので見てみると、
よく見てね…。
お~。
ふむふむ、
ふむふむふむ!
ふむふむふむふむ!!
ちんちんおっぱいばっかりやないかい!
思わず24ptで叫んでしまいました。なんだこの、小学生がつくったような「ぼくの考えた最強のエッチなもの」は。いや、小学生だとこんなにギンギン極太のイメージはむずかしいか…(ほんとどうでもいい)。
この全方位無敵艦隊みたいなちんちんとおっぱいの組み合わせが、工芸品の1/3ほどを占めていました。チャンパ王国、そうでなくともポー・ナガールにおける神様的な扱いだったのかもしれません。
まさかこれがポー・ナガールじゃないよね?いや、違うって分かって書いてるけど。それにしても、縄文時代あたりにつくられたものといい、昔の文明ってなにかと性器やおっぱいを崇め奉ります。そこから命が新たな生命が生まれる訳だから、納得はできるけど。
と、とくにオチもなくふわっとした感じで終わりにしたいと思います。
次回は「カントリマアム岩」こと(勝手に命名)、ホンチョン岩を紹介します。たぶん。
宿泊先のアパートから朝見たニャチャンの朝(いろいろ自慢したいだけ)。