出張につき、沖永良部島から移動中です。 奄美と沖縄をつなぐフェリーは、通信状態がブラウジングにも必要十分とはいえず、つながりそうでつながらない。 うんともすんとも言わないなら諦めがつくものの、往生際を見定められているよう […]
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2025/03/15
出張につき、沖永良部島から移動中です。 奄美と沖縄をつなぐフェリーは、通信状態がブラウジングにも必要十分とはいえず、つながりそうでつながらない。 うんともすんとも言わないなら諦めがつくものの、往生際を見定められているよう […]
ライター:ネルソン水嶋 公開日:2025/03/15
出張につき、沖永良部島から移動中です。
奄美と沖縄をつなぐフェリーは、通信状態がブラウジングにも必要十分とはいえず、つながりそうでつながらない。
うんともすんとも言わないなら諦めがつくものの、往生際を見定められているようで、やーん、いらいら、ってなる。
そんなわけで、考えごとしよ!と、腕組みして口をすぼめて耳の上にえんぴつをかけて貧乏ゆすりをしながら、「うぅーん!ポクポクチーン!」と船内で絶叫することもまぁまぁある…こたぁない。8割は誇張しました。
先日、ここにひっっっさびさに記事を書いてみた。
旧友(あえてそう呼ばせてもらう)の塩川さんからの打診で、インタビュー記事を書いたんだけど、これが楽しくて楽しくて。
いやーおれ、インタビュー好きだったっけなー、と振り返ったんだけど、それもあるっちゃあるけれど、やっぱり投稿画面を開いてパチパチとキーボードを叩いているときが楽しくてしょうがなかったんだよなーと気付く。
お陰さまで、よそのサイトさまに文章を書かせていただく機会はよくある。でも、べとまる(自分のブログ)で書いているときって、その感覚が決定的に違いますよね。
やっぱり、ここは、「我が城」なのだと。
投稿画面を開いて、キーボードにそっと手を添える。その感覚は、まるで広々とした大地に突っ立っているようなもの。そんなイメージが、しっくりくる。
これが仕事だと、「おつかい」が明確にあるので、好き勝手はできない。目的に向かって、こう行って、あっち回ったあと、それからこの目的地に行きますねーというルート(つまり構成案など)をお約束したあとなので、基本的にその通りに向かいます。
それが、これまでデザインなど人に手伝ってもらってきた部分はあれど、基本的には自分が作り上げてきたブログとなると、どこに向かおうが、その場でバク宙しようか、全裸で逆立ちしようが、誰からも咎められる謂れはないわけ。ああ、だだっ広い私有地で息子に車を運転させる感じか。クライアントワークは、公道だ。ま、広い私有地も息子もおらへんねんけど。
喩えを2つ出したのでややこしくなった。
ともかくも〜。そんな、「今から何してもいい」という高揚感が、ドーパミンをドバドバと噴き出させて、さきほどの「楽しくて楽しくて」に結びついたのだろうと思う。
最近、「気持ち」ってすげぇよなぁと。
マザーテレサか誰かだっけ、想いが行動に変わり、行動が習慣に変わり…ってやつ。詳しくは忘れてしまったけど。ひょっとしたらマザーではなくテンの方かもしれない。いや、それはない。川の流れのように〜って、それはミソラ。そもそもテレサってもない。
えーと、なんでも始まりは気持ちだなと。
科学者も、アスリートも、大富豪も、みんなみーんな、そうなりたいという気持ちから始まっているはず。思ってもないのにそこに到達した人はラッキーというか、望んでないのになってる時点で、本人的にはラッキーではないかもしれないが。
まぁ、何が言いたいかというと、文章で表現する。その行動において、「(自分の城だから)どこへでも行ける」という気持ちは、実際にどこへでも行かせてくれる絶対条件なんやろうなと。ベトナムで、ブログを通していろんな貴重な体験をさせてもらったけど、自分のブログじゃないと実現しなかったと思うもん。実際、誰かに用意してもらった場所だと、自分自身でも文章が走りきっていない感覚、あるもんね。これまでたくさん書かせてきてもらって、大変申し訳ございませんが…でも、それはほんとしょうがない。
そういえば以前、バンシローズ(沖永良部島が誇る地元バンド)のカナキヤスヒロさんが、「自分がつくりたい歌じゃないとつくれない」って言ってたな。依頼されてもできない、っていう文脈で。自分が文章を書く場合においては、意外と思っていたよりも器用だったみたいで、できなくはなかったけど、それでもやっぱり、自分の城(ブログ)で書くことに比べると、そこそこ止まりなのだわ。
あと、それを読む人にとっても、「この人は仕事で書いているわけじゃない」というのは大層大事なことだと思う。よそのサイトで書いているという形を取っている時点で、仕事という雰囲気は否が応でも漂う。それが自分のブログで書いている(広告案件などは別として)と、「あぁ、この人、自分の時間を使ってでも、どうしても書きたい(やりたいこと)があるんだな」という暗黙のメッセージとなる。
そうした大前提があるから、自分がベトナムでドリアンの皮を装備したり、ダチョウに乗ったりしてきたことも、この人は本気でやっているのだと、ビジネスバカではないのだと、言ってみれば「迫力」が生まれる。
…なんて、そろそろ手前味噌に聞こえるかもしれないので補足をすると、ただ単純に、おもしろいと思うからやってみた。本人的にはただそれだけのことなんですけどね。そんな、ごちゃごちゃ考えてねーよ!っていう。いったい誰に悪態ついてんだ。俺自身か。
そんなわけで、ブログの力、頭では分かっていたけど、旧友から頼まれて無理くり時間をつくって書いたことで、再認識した次第であります。また、書きたいこと、やりたいこと、べとまるで発信していきたい。そういう気持ちのタガを外すためにも、ただ考えていることの垂れ流しを、あえて記事にして公開しようと思ったのでした。もう、なんでもいいじゃん。なんでもやって、なんでも書いていくよ。ぼかぁ。
ブログのタイトルもずっと悩みのタネだったけど(もともと「ベトナムで◯◯する方法」が「べとまる」の由来)、ああだこうだ考えないまま時間が過ぎ去っていくことがなによりもったいないから、もうベトナムのことでなかろうが、べとまるのままでいきたいと思う。これについては、インタビューの最後に塩川さんと話したことがきっかけになった。この場を借りて御礼申し上げます。って、この場もなにも、自分の城やないかーい!
何卒宜しくお願い致します。あーたのし。書いてるだけで楽しいんだ。